実は、盆休みに入る前、先週からすでに、何やら調子が悪くて、階段を上がる足が重く、ひどく肩が凝った。
盆休みに入った。ライネケは、エアコンがまだ生きていてETC付きのメルセデスに、ネコパコとShigeを乗せて、吉川までの片道300キロの旅に出かけた。途中、金光のあたりで、二号線沿いの店に寄って、トンカツを注文した。Sサイズを注文したのに、えらくでっかかった。その後、ひどく腹が重苦しくなり、それでも、エアコンを吹かせながら、運転を続け、倉敷に到着した。倉敷ではにわか雨に降られたが、あまり涼しくもならず、ぬるいおもゆみたいな町中をせかせかと歩き回った。その後、たどり着いた吉川で、土曜日一日を過ごして、日曜日、再び、山陽道を南下した。吉川ばあちゃんは元気だったよ。
日曜日もかんかん照りの晴れで、胸から上はエアコンに吹かれていたが、窓から入る日差しはひどく暑かった。車外温度計が35℃以上を指す中、山陽道を備前で降り、懐かしい旭川に沿って下り、玉野のS先生宅を訪問した。先生宅を辞して、昼過ぎになっても、食欲はなく、徐々に体調が悪くなるのを感じながら、玉野から水島に至る山道、町道をごちゃごちゃと通って、水玉ブリッジラインを経て、やっと、金光の手前で2号線に戻り、2号線をひたすら南下した。
しまなみ海道もひどく暑く、気の抜けない一車線の高速道路を気分不良を我慢し、眠気に耐えながら、やっと今治にたどり着いた。
もう一息で松前だ。集中力が途切れないように。
今治から奥道後にむかう山道は、信号のない代わり、カーブが多く、前をとろとろ走る軽四輪を追い越した時、軽四の運転手は、車を隔てて、ライネケの怒りを感じたに違いない。彼は制限速度を守って走っていただけなんだけどね。
結局のろのろ走るバスの後を走らざるを得ないままに、カーブだらけの下りの山道を下り切ると、松山だった。気温は36℃を越えていた。松山松前間の20キロほどが気が遠くなるくらい長かった。4時ころ、帰宅した。あまりに気分が悪くて、体温を測ったところ、38.7℃あった。
実は、出かける前に、ライネケの老母からお墓さんのご先祖のお迎えをして、帰って来たら、お見送りをする約束だった。なんとしてでも、これを済まさなくてはならない。今へたり込むわけにはいかない。お墓に行って、墓石に水をかけ、自然発火しそうな暑さの中で、線香に火をつけ、お参りした。その後、国近川河口でライネケ老母の用意してくれていた油揚げやら茄子、素麺などを流した。ご先祖さま、西方にお帰り下さい。私たちライネケ一家は正しく強く賢く生きて行きます。今後もよろしくお守り下さいますよう。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
浜のお墓から引き上げて来て、ライネケは、とうとうのびてしまった。
頭痛、気分最悪。熱はあるけど、上気道炎症状なく、嘔気嘔吐なく、今のところ、下痢なく、便通あり。しかし、腹部の不快感ひどく、食欲なし。
困った時にはためらわず、泣きつきまくるという、いい性格のライネケは、信頼する内科小児科のW先生に電話した。言下に熱中症だと言われ、点滴を指示されたが、ライネケは、自己中ならともかく、自己注はできない。夜だというのに、Shigeに走ってもらってポカリスエットを買って来てもらったのだが、結局、あまりたくさん飲めず、食事も全く摂れぬまま、夜10時過ぎても熱は下がらず、フラフラしながら、トイレに行った。排尿時、妙に小水が熱く感じるので、これはひょっとすると、前立腺炎か、膀胱炎あるいは腎盂炎もあるのかも知れん、と思い、念のため、パンスポリンを飲み始めた。明日から外来だというのに、どうしよう。
不安と不穏の一夜を過ごし、翌朝、体温は37.7℃。ネコパコが作ってくれた朝食を不機嫌そうに少し食べて、気力をふるって、盆明けの外来を開始した。なんとか、午前中を終了。その後、パンスポリンを続け、ロキソニンも半錠飲み、ポカリスエットを飲み、月曜夕には、36.9℃に。最後の患者を診察したあと、最初の言葉は、「とうとう月曜を乗り切ったぞお。」だった。火曜日の本日、午後、ほぼ平熱に。しかし、渋り腹が続く。軽い下痢っぽい感じの便通に変わって来た。何か、すっきりしない。
やっぱり、熱中症? 夏風邪? 食中毒? ただの更年期障害? 要するに夏バテ?
とにかく、仕事に穴をあけずにすんだ。ネコパコ事務長の言う通り、「男はつらいよ、ライネケ篇」だった。でも、本当につらかったし、不安だった。このあと、年はとるばかりで、悪いことはあっても、いいことが増える可能性は少ないし、どうなるんだろうね、おい、という気分だ。
とにかく、やるべきことをやって行くだけだ。
「女はつらいよ、ネコパコ篇」にならないよう祈る。
16 件のコメント:
連日の猛暑の折,大変なことになっていたのですね.
普段は自己管理の鬼,調子が悪くなるとぎりぎりまで我慢して,最終的には布団から尻尾だして寝こむ,「もう勘弁してくれ…」,ライネケ隊長らしいです.
「仕事に穴は空けん!」というのも,普段から何気なくみていて分からないですが,大したものです.倉敷でも毎朝,サンダルでぺったぺった,ママチャリできこきこ,出かけてゆくだけなので,昨今的問題に忙しいがまたちはなかなかその継続性に心が至らない.
しかしもう30年ほどになるのでしょうか,これは本当に見上げるべき根性です.
がまがえるも見習わねばなりません.
きっと今日も診察室にふてくされて座っているのでしょうか.
どうかお体を大切に,ご無理をなさらぬように....gama
P.S; 相変わらずロナは野放図にごろごろしていますか.猫は病人に近づかない,というのは本当でしょうか.それとも容赦なく起こしにくるのでしょうか.
<ライネケ>
>診察室にふてくされて座っている
なんてわけがないでしょうが!
いつもニコニコとは言わんが、機嫌よさそうに、愛想良く、気軽そうに、見せるべく努力しておる。
プロだからとか、人としてとか、えらそうなことでなくて、そうするのが相手にとっても自分にとっても、結局一番いいからだよ。君たちも努力するように。
しかし、月曜日朝は、まだかなり苦しかったよ。
>それとも容赦なく起こしにくるのでしょうか
来るね。遠慮も何もなく、自分の都合によってだけ行動する。見上げたもんだよ。まあ、ロナだから許そう。
<ネコパコ>
診察室に座ると過剰なぐらいのサービス精神が、もといプロ精神のスイッチが入り緩急よろしきを持っての説明、処置…
世間で言うところの3分診療なんてあり得ない
皮膚病は目で見た瞬間に判断がついているらしいけれど、患者さんにいかに納得してもらうかに最も心を砕くライネケ院長ですから、現場でぶっきらぼうなんてもってのほかなのだと思います
患者さんの方に、不信、疑惑、やる気なさが見えれば見えるほどギャップを埋めようと焦ってしまうという悲しい性だとお見受けします
もう少し見栄えの良いサンダルを是非プレゼントしたいと考えるネコパコです
「人は足もとみたらよくわかる」という格言にのっとって我つれあいの足もとをみる時、少なからぬ苛立ちに襲われます
さほど長くはない余生ですから、生活の場に明るい気分を演出するのも大事かもしれません
<ライネケ>
今日は金曜日。だいたい元気になった。よかった。
幼かったころから、裸足かサンダル、そうでなければ、ゴム長が好きだった。だって、学校からの帰り道、川を覗き込んで魚がいれば、すぐ、じゃぶじゃぶ入って、魚を追うことになるんだが、ゴムのサンダルだと、そのまま入れるし、足を怪我する恐れがないんだな。気合いが入れば、やっぱりゴム長だね。どこに行くときも黒いゴム長が気が引き締まっていい気分。
Shigeが、なんであんなに編み上げのバスケットシューズばかり欲しがるのか理解できない。ぱっと脱げない、履けない、不便だし、蒸れるし。
安物のサンダルがやっぱり便利だね。足下を見られたって、全然平気。履物を見てオイラを安物だと思うなら、それでいいよ。オイラは気にしない。それで扱いが変わるようなとこには、もう行かないだけの話なんだから。気を付けた方がいいぜ。人を外観で判断するのは。
ところで、本物の黒皮の乗馬靴が欲しいなあ。
<ネコパコ>
何にこだわるかの違いこそあれ、こだわり体質そのものは
あきらかに同質
TPOの使い分けができるのが、大人とか成熟とか、文化とかと言うなら、俺は未成熟野蛮人だ!!と言い放った方がいくらかすっきりする
暑さで頭の𥶡がどんどんぶっとび
うるさいよ!
履物ごときで言い合いしなさんな.
ロナなんか裸足で笑ってるよ.
「僕肉球あるもんね.悩まないよう!」
未成熟野蛮人 がま
<ライネケ>
そやな。その通りや。
ロナは裸足で、今日も壁を垂直登攀していたよ。元気なもんや。
でも、長靴を履いた猫なんてのもいたな。
特殊な事例ですな.
ところで,写真の神棚,良いですね.
モダンカミダナ?
gama
あ〜 あついねぇ
Haruno
<らいねけ>
あ〜、あれはねえ。土曜日、倉敷民芸館の前を通ったら、なんだか特別展をやっていて、入り口の前に立っていた看板に貼ってあったポスターの写真部分なんだよ。素敵だろう。こんなの作れんかなあ、と思って写真を撮っておいたんだ。
Haruno君。久しぶりやねえ。元気かな?
Shige お誕生日おめでとう。
ついに18歳か・・・月日の流れははやいもんですなぁ
これからの更なる活躍期待してます。
Haruno
家族のために雄々しく運転を頑張り、そして仕事には穴をあけず、見上げたプロ意識です。
そういえばうちの亡父も、夜中の出産立ち合いもあったにもかかわらず、日中の外来ももちろんこなし、休んだというのを知りません。不器用で誠実な人柄だったんだなと改めて思いました。
皮膚科って見たらすぐに診断はつくけれどもいかに患者さんにわかりやすく説明するかに心を砕いていらっしゃるとか、そういうのが本当の名医だなと思いました。
<ライネケ>
Shige君、誕生日、おめでとう。
暑い夏の終わりころ、倉敷の美観地区の中心部の「あずみ」っていうそば屋で、遠くから来た友人と昼飯を食っていたら、ポケットベルが鳴って、あわてて、うちに電話したら、Chikaか誰かが出て、「お母さんは、産気づいて、自分で自転車に荷物を積んで、子ども達と中堀産婦人科に今行きました。私もこれから、行きます。お父さんもすぐ来て下さい。じゃあ。」って言うんだ。
あわてて行ったら、産室で子ども達がお母さんを取り囲んで、うちわで扇いだり、応援している所だった。
そして、君がうちにやって来た。
あれから18年が経ったのだね。
あらためて、おめでとう。
<ライネケ>
kurashiki-keiko様、
盆は過ぎましたが、お父上に敬意を捧げたいと思います。
大抵の皮膚科医はそうだと思いますが、皮膚科医には、患者が診察室に入って来て、患部を見せたら、ほとんど瞬間的にと言っていい位、診断、処置、処方、説明などを考えます。診断は、もう出会い頭で頭に浮かび、その時に、ピンと来なかった場合、それ以上いくら考えても、むずかしいです。アトピー性皮膚炎などは、もう患者が入って来た瞬間、顔を見た一瞬で診断がつくことも多いです。
だから、もっともらしく丁寧にみている風なのは、もちろん、丁寧に見ているんですが、実は、頭の中でどう説明したら納得してもらえるだろうか、ぱっと見て分からんけど、どうしよう、とか考えているわけで、もっとさっさと、短時間に終わらせることは可能だと思います。
その辺りは、医者によって微妙に違うでしょうね。私は、自分が患者なら、それじゃ納得できんぞ、と思って、ますますしゃべって自分の首を絞めている感じです。年とともに、納得してもらえるようになるのかもしれません。
薮はいくらでもいると思いますが、名医というのは、本当にわずかだと思います。私自身は、患者が、「先生の薬が効いたんかどうか、よう分からんけど、とにかくようなったわ。」と言って帰って行くのがいいんじゃないか、と思っています。
<末っ子>
末っ子が18歳になりました。
これも多分みんなのおかげでし。
この場を借りて皆さんにお礼を言いたいです。
ありがとう。
18歳ってなんだろう。
やましいことが公然とできるってだけじゃないよね、
多分。
恥をかけない大人には
なりたくない
はずかしいもの
末っ子はもうすぐ戦場に帰ります。
どうかこれからも優しくして下さい。
<ライネケ>
この前インタビューでお訪ねしたIさんが、メールで書いて来られました。「ご子息 良い子に育っていますね。」だって。父親の目で見て、君がどれくらい良い子に育っているのか、よく分からないが、他人の目にはそう見えるってことは、きっとそうなんだと思う。ちょっとうれしかったよ。
「やましいことが公然とできる」年である、という考え方もできるけど、「見てる人がいてもいなくても、自分を省みて、やましいことはできない、と思える」年である、と考えることもできるよ。
いつの日か、「戦場」が単なるつらい場所ではなかったと思える日が来ることを祈っています。そして、君たちが、「戦場」から帰って来たいと思った時には、我家が、そういう場所であリ続けられるといいなあ、と思っています。
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