2010年8月7日土曜日

プレイバック <ライネケ>

アメリカには、日本人には想像できない程のお大金持ちがたくさん居て、至れり尽くせりの高級ホテル住まいで、老後の日々を過ごしている人がいるらしい。
「長いお別れ」で有名なレイモンド・チャンドラーの最後に近い作品で、「プレイバック」というのがある。ライネケが、初めてこの小説を読んだのは、滋賀県にいた25年前だ。

主人公で語り手のフィリップ・マーロウ氏が、ある事件を調査しているうちに、とあるホテルのロビーで、80歳近い老人と出会う。

このおじいさんは、四代目ヘンリー・クラレンドンを名乗る富豪で、若いときは、グロトン、ハーバード、ハイデルベルク、ソルボンヌ、それに、ウプサラに学んだという上流階級出身者だ。年とって引退した今となっては、一日中、ホテルのロビーにステッキをついて座って、世間を観察するのが仕事だ。白髪をきれいにとき分け、鼻が長く尖り、薄いブルーの目はまだ鋭さを失わず、補聴器をつけ、手をスエードの革手袋に包み、きれいに磨き上げた黒靴にグレイのスパッツをつけている。

そのおじいさんが、どういうわけだか、ホテルにやって来たマーロウに手招きして、話しかけるんだが、何回か読み直してみても、この小説の中で、この人物が何者で、どういう役割を果たしているのか、今ひとつ分からない。話す内容の大方も、あらすじとはまるで関係がないように思えるし、意味合いもよく分からないというものだ。

マーロウにちょっとした情報を与えてはくれるのだが、その中で、妙なことを語り始め、マーロウは、このおじいさんの哲学的というか神学的というか、このおじいさんのおしゃべりに付き合うことになる。

このヘンリー・クラレンドン4世が言うには、自分程の年になると、楽しみはほんのわずかになってしまい、たとえば、ハチドリとか、ストレリチアの花の開き方の観察みたいなものだけになってしまう、というのだね。

なぜ、一定の時期になると、
つぼみが直角に向きを変えるのだろう?

なぜ、つぼみが徐々に裂けて、
花がいつも一定の順序で開き、
まだ開いていないつぼみの尖った形が
小鳥のくちばしのように見え、
ブルーとオレンジの花弁が
極楽鳥のように見えるのだろう?

神様はどんなに簡単にも作れた筈なのに、
なぜこんなに複雑に作ったのだろう?

「プレイバック」レイモンド・チャンドラー/清水俊二訳 
早川書房

本当に、その通りだな。このような神が宿るような微細な野の花を、道端にしゃがみ込んで、見つめるたびに、ライネケもそう思って来た。なにが悲しうて、こうなのか?

神は万能なのだろうか?
万能といえるだろうか?
神が全知全能なら、
はじめから骨を折って宇宙を作ることなどしなかっただろう。
世の中のすべてのことがうまく行かないのは
神の手際が良くなかった日にぶつかったからにちがいない
・・・

「プレイバック」レイモンド・チャンドラー/清水俊二訳 
早川書房

そんな風なことを語るのだが、プロットにどんな関係があったのやら。しかし、ライネケが読み終わって25年も経った今、この小説で思い出すのは、なぜか、この部分だけだ。

そうそう、有名な
「タフでなければ、生きて行けない。やさしくなくては、生きる資格がない。」
というセリフも、この小説の中で出て来る文句だ。原文では、
"If I wasn't hard, I wouldn't be alive.If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. "
となっている。toughじゃなくて、hardなんだね。

不思議な小説だよ。今頃になって、ライネケにも、少し分かる気がしてきた。

年をとったからにちがいない。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

思うんですけど
神様は 
カバ作った時、虫歯か親知らずに
悩んでたんではあるまいか。
テントウムシをデザインしてたら
有名ブランドのデザイナーばりに
「今年は水玉模様がくる!」ってなって
7星以上のテントウムシまで生まれたんじゃ
あるまいか。

しかしながら、何故、人間を作るときは
パーツ取り外し式にしてくれなかったか。
肩こりで、頭載せてるの、
もうメンドクサイんですけど!!!!
腕ぶら下げてるの、重たいんですけど!!

そんなことを、最近イリアス読みながら
思います。
あの神様たちなら、牛30頭ぐらい捧げたら
なんだってやってくれそうだ。

chica

匿名 さんのコメント...

<ライネケ>
このところ鬱気味だよ。

肉体的にも社会的にも八方ふさがりのひどい褥創の患者やら、そんなこんなで。おまけに、夏場になって、患者が増えて来て、昔なら苦にならなかった労働を徐々に負担に感じ始めたということもあるかもしれない。

患者が少ないときは、営業が成り立つだろうかと心配していたくせに、やがて暇に慣れてしまうと、これはこれでいいもんだ、もう俺は早期退職して、貯蓄で暮らすんだから、患者は少なくていいんだ、なんて言い、今度は少し忙しくなると、しんどいなぞと言っている。おいらも、随分、わがままなもんだよ。必要としてくれる人がいるってことは、感謝しなければならないことだというのに。

で、秋になれば楽になるかな。でも、秋には秋の愁いありだよ。

神様が全知全能で、絶対完全なものなのなら、どうして、不完全がこの世界にあるのか、というと、絶対完全と言う以上、その中には完全も不完全も全て備わっているはずで、だから、不完全がこの世界にはあるのだという。

世界が、不完全も何も無くて、ただただ均一に、のっぺらぼうで、例えば白一色で、ひたすら単純にできていたらどうなんだろう。何も迷うことも悩むこともない静寂の世界。生き物はおろか、物も何も無くて、ただただ単純で均一な世界。そこにはそれをつまらないと思う生き物もいなければ、面白いと思う物事もない、というような完全な世界。それはそれでそういうものだとしか言いようがないな。だって、そこには、それを観察して、何かを思う主体者がいないんだもの。

本当に、どうして、神様は、こんなに精密に複雑に世界を作ったんだろう。こんなに精緻である必要なんてなかったんじゃないのか。どうして、うれしかったり、悲しかったりするように人間を作ったんだろう。どうして、ひとたびは生きる喜びを与えたくせに、いつかはそれをとりあげてしまい、いつかは滅びるように、この世を作ったのだろう。

また、ライネケ少年のいつもの癖が始まった、と思うかな。そうなんだろう。答えが見つからないうちに、人生の終りが見え始めた。

匿名 さんのコメント...

だめ!
人生の終りとか,またぁっ!

そんな弱気はだめ!
がま怒るよ!

ファイト! 闘うきみの歌を 戦わない奴らが笑うだろう.ファイト!

老人性鬱とか,認めないからね!

凍えながら登ってゆけ!ファイト!

まだ20代の主張 がま

匿名 さんのコメント...

<ライネケ>
ううふ。

いわゆる老人性鬱とか、そういうのではない。
基調として、そういう色調なんだと言うてるだけです。
大抵の人よりは強いだろう。

答えが見つからんからといって、絶望しているわけではないよ。映画のセリフを借りると、「答えを持たないで生きて行く」強さを持ちたいと言っているのだよ。