2009年9月30日水曜日

近況報告 (1) <ライネケ>

近況を報告する。

先々週から先週にかけて、やたら休みが続いた。

9/20(日)朝から、ネコパコと一緒に、MB230TEで吉川に向かった。さすがに高速道路1000円効果で、山陽道の交通量が多かった。その夜、新三田駅まで出向いて、北海道での研修旅行から帰って来たSoranecoを拾った。

9/21(月)、ネコパコ・Soranekoと東仲家訪問、その足で、大阪の弓屋さんに行って、弓を張り替えに出した。今年は、弓が少なくとも三張りはじいた。帰りは、高速が渋滞しているだろうというので、地道を帰った。これが大失敗の始まり。十三から池田を抜け、宝塚をぬけても、ひどく渋滞していて、おまけに暑かった。

のろのろの中でふと気づくと、水温計の針が100度を超えて、とうとう120度にまで上がっていく。こりゃ、オーバーヒートじゃないか。こんな所で、どうかなったら、どうしようもないよ。えらいこっちゃ。

ひどく暑い中、これでバッテリーまで上がっちゃうとまずいので、エアコンを切り、窓を開け、渋滞の列が止まるたびに、エンジンを切り、動き始めると再始動する。この繰り返しで、水温は100度前後だ。宝塚を抜け、山道に入り、やっと流れ出すと、水温は80度前後になった。


ラジエーターファンが回ってないか、冷却水が減っているか、ウォーターポンプが回ってないか、ラジエーター内部がつまっているか。一言で言えば、車の老朽化のせいか。何せ1991年製、23万1000キロのご老体だからね。

吉川に帰って、点検するが、ラジエターファンは回っている。水も減ってない。エンジンをかけて、水温計を見ていると、60度少しで、ファンが回り始め、60度ほどになると止まる。ちゃんとファンスイッチは作動している。じゃ、なんでオーバーヒートするの? 分からない。

9/22(火)、不安を抱えて、今度は、三人で、山陽道を西に、愛媛に帰ることにする。途中、尾道で高知から「しまなみ海道」を自転車旅行して来たHarunoら4人を拾う。補助席も起こして、定員満杯の総勢7人で、瀬戸内海を渡る。一世代前のW124シャーシのMB230はしっとりと滑らかに走って行く。高速で走っていると、水温は高めながら、80度前後止まりで落ち着いている。

松前に帰り、MB230はヤナセに預けられることになる。帰り用のゴルフカブリオと一緒に行く。ゴルフのエンジンをかけようとするがかからない。なんで? 燃料計の針が左に寄って動かない。ちなみに燃料空っけつはE、燃料満タンはFなんだが、これはアルファベットの順番のEFじゃないよ。EmptyとFullのEFだ。昔はEの代わりに0があったりして、ややこしかったんだそうな。これはアルファベットのOじゃなくて、数字のゼロだな。

とにかく、CB400Fのタンクから、レギュラーガソリンを1リットル抜き取って、ゴルフに容れてみると・・・・。なんとか、かかった。やっぱりガス欠だったんだ。この子も1983年製、18万7000キロのご老体だからね。この車も随分いたんでいる。


メルセデス、ゴルフ、フォーインワン、どの車も、長い付き合いの間には、大抵の事は経験したので、あまりあわてなくなった。大概何とかなるし、旅行先で何かあっても、ちゃんと乗って帰って来た。

MB230TEもゴルフカブリオも、どっちも気に入っている。もちろん、CB400Fも。最初に出会って、ぱっといいな、と思ってから、ずっとその気持ちは変わらない。雨に濡れたあと、水滴がついている姿なんか、真新しい頃のように新鮮に姿良く見える。飽きないというのか、目移りしない、というのか、我ながらいい性格だ。

節約になるかって? むずかしい所だ。動態を保つには、それなりに費用もかかるし、幾分かの忍耐や知識も必要だ。適当な時期に新車に乗り換える方が安上がりかもしれない。古い車の排気ガスを考えると、新車に乗る方が環境にいい、という説もある。

色々考えもするが、今の所、この子らを捨てて、新車を買うつもりはない。なんでかって?そりゃ、はっきりしている。今のメルセデスもゴルフも不細工、不器量だからさ。ライネケは面食いなんだよ。めんこいのじゃなきゃ、どんなに性能が良くってもイヤ。CBつまりフォーインワンは言わずと知れた器量良し。

どうして、皆あんな不細工なのに乗ってるのだろう。せいぜい二、三人乗るために、あんな河馬みたいに図体が大きくって、不器量な車。たかが男一匹乗るために、無駄と虚飾だらけみたいなの。いい車に乗ったって、えらいのは車の方で、乗ってるあんたじゃないよ。

そして、うちの子達は、みんな、見てくれがいいだけじゃなくて、働き者で、賢くて、いい子ばかりなんだよ。

2009年9月27日日曜日

徒然雑草 書き込みラッシュ  Chica

けろよん・けろよん・けろよん・ぽい。
なんだか書き込みラッシュなのでもっと書き込んでみる。
夕方、日が落ちて夜が来る一瞬。
空気が真っ青に染まる。
息を吸うと体の中まで染まりそうだ。

白ならば染まる
黒ならば染まらずにすむ
青は透明で底が無いから
怖い

一日を締めながら空を眺めて
そんなことを思いました。

            Chica


2009年9月26日土曜日

Sendai-Station



カエル帰った.
六本木ですんごい金魚鉢を覗き,おいちい昼飯をいただき,
秋葉原で模型屋を物色し,やまびこで二時間.

お家に帰る途中で古本屋に寄ったら,
面白げな本を発見.


ブチクスクスとか,オオグチボヤとか,興味あるぞ.
これ読んで寝よう. sor



2009年9月25日金曜日

ターミナル

げこげこ。
終点とは云うけれど、大抵隣に別の路線が口を開けている。
本当に「おしまい」以外のオプションが無いのは人生一度きり。
だから、
 自分の急ぎ焦り苛立は表に出しません。
  (大抵取り越し苦労。間に合いさえすれば万事OK。)
 何事にも備えは半端です。
  (どうせ思いもしないことで粉砕されるから。)
 歯ブラシやパンツの予備は持ちます。
  (そういうので困るのはやだからね。当然。)
 あと、パンク修理の道具はいつも持ってます。
 挨拶の文面は清書しません。
  (めんどくさい。よく赤面するけど。)
 切符は忘れません。
  (忘れるわけない。まだ買ってないんだから。)
 まだかまだかまだかまだか!?
  (いや、無理。荷物、今詰めてるの見ればわかるでしょう。)
このような考え方をよくいえばマイペース、悪くいえば自己チュウ
といいます。
代わりに周りの皆が急ぎ焦り苛立を抱えて悶絶、身近な人ほど迷惑
を被ります。
ほんとにゴメンナシャイ!!

はあ…。ダイジョブだって。なんとかなるって。
今日も陽は昇り、欠伸しつつ歩む。
スマヌ母よ。かたじけなし父よ。 sor


2009年9月24日木曜日

徒然雑草 Chica

げろー。頭使い過ぎて気持ち悪くなり青ざめた猫です。
もうすぐ、毛玉と水を吐きます。げろー。
長野の蓼科で短大卒業生主催の学習会に参加してきました。
4泊5日みっちり! 観光もせず、食べ歩きもせず、ひたすら勉強。
講義聴いて、観察して、質問して、議論して。。。。。
色々思うところ、考えるところはあって、
とりあえず、
必死で頭使ってんのに低所得労働者層から抜け出せない苦しさとか
結局、庭とか植物とか生活に余裕のある人の趣味みたいなものだと
カテゴライズされて余裕のある人の下で
余裕もなんも無く駆けずり回ってる泥まみれの悔しさだとか、
そんなものが蔓延している身の回りを実感した。
別に
ブランド物の服着て、毎日ステーキ食べて、外国車乗って
「ここからあそこまで全部いただくわ~。」なんて
言いたい訳じゃない。
自分がやった事を評価して、評価されて、満足して、時々ご褒美あげたい。
それだけなんだ。
楽になることなんか一生なくて、ただひたすら苦しいだけだと理解しながら
幸せの形を模索しました。
あー、宝くじ一等賞当たらないかな。買わないけど!
          Chica




2009年9月23日水曜日

げこげこ。

 のし。
          北国にてなにをかせん…
          仙台のがまは今日も徘徊
 




         今年の夏もいろいろありました。
         とりあえずもっと北にいってみた。

       
          














べんとうだべ   Haruno


チキンライスとコールスロー

サンマのかば焼とサラダ

鳥もも肉の片栗粉まぶし茹で

肉じゃが

豚肉の生姜焼き

2009年9月15日火曜日

ロナの近況 <ライネケ>

ロナは元気だ。

今日も朝5時前に、ライネケの枕元にやって来て、布団の中のライネケの鼻をかじって、朝食を要求した。昨夜、寝る前に、餌入れの中に、今朝分の餌はいれてやってるのだから、朝、目が覚めたら、勝手に、えさ場に直行すればいいものを、わざわざ手間をかけさせにやって来るのだ。

時々思う。子どもというものはこうして、わざわざ手間をかけさせることで、親の愛を試しているんじゃないかって。我々は試されているのかもしれん。

8月の末のある朝、ネコパコが、体をすりつけるロナを撫でてやろうとして、ふと見ると、右前足の付け根に、卵くらいの大きさのしこりがあるのに気づいた。


ネコパコに診察を要請されたライネケは、一目見るなり、暗い気分になった。境界明瞭で、下床との可動性なく、周囲と癒着しているようだ。波動を触れず、充実性みたいだ。

悪性腫瘍?

40年以上も前の事、ライネケの父親が可愛がった雌犬の事を思い出した。

ある日、老ライネケが車で往診に行った帰り道、一匹の子犬を乗せて帰って来た。シェトランドシープドッグ風の雑種だった。どういうわけか、道端で老ライネケと目が合ってから、ずっと車の後を追ってついて来たんだ、という話だ。えらく賢い雌犬で、老ライネケの機嫌、気持ちを極めて敏感に察知して、彼に寵愛された。美しくて、賢くて、老ライネケとその近親以外の人々に対しては傲慢で、抜け目のないお嬢さんだった。老ライネケのお小姓みたいに振る舞い、ほとんど人間と同様に、いやそれ以上に大切に扱われた。当時高校生だったライネケは、秘かに彼女をうとましく思う気持ちがあったと思う。

犬猫は人間並、ましてや、それ以上に待遇してはいけない、と思った。

ある日、その彼女の左前足の付け根内側に、しこりが見つかった。やがて、まだ若々しく美しい処女のままで、彼女は老ライネケにみとられながら死んだ。そのことを知らされた時、ライネケは、何かしら皮肉を感じた。人間以上に可愛がるからだよ、って。

医学を学んでから、思ったのだが、あの雌犬のあれは、多分、肉腫だったのだと思う。極めて悪性で転移も速い。あらためて、美しかった彼女の冥福を祈る。

ロナのしこりを一見して、彼女のことを思い出した。生まれたばっかりで目も開いてなくて、自分でミルクも飲めなかったロナがうちに来て、7年経つ。人間なら中高年期というところか。知能は子供のままだが、年齢的にはオイラより少し若いくらいだな。猫も悪性腫瘍は多いという。いよいよ彼にも運の尽きが来たのか。可愛がったけど、不吉なほど可愛がったというほどではなかったはずだが。

ライネケは憂鬱な心を抱えて、東京から帰って来ていたShigeに手伝わせて、かかりつけのM動物病院に彼を連れて行った。ロナを拾って来たのはShigeだったものね。Shigeには、ロナの生死に関わりあう権利と義務がある。

M動物病院のY先生は、ぱっと見て、ちょっと顔を曇らせた。とにかく、毛を刈ってよく見てみましょう、と言って、バリカンを当てた。実は、しこりの中央にかさぶたが付いていて、例のクロタとの喧嘩傷かな、と思っていたのだ。そのかさぶたをバリカンが巻き込んだ途端に、黄白色の膿がパーッと溢れ出た。

感染症だ!
クロタとの争いで生じた猫引っ掻き病だったんだ。

その瞬間のうれしかったことよ。麻酔されて、とろんとなっているロナの顔を見ながら、彼の体を何度も撫でてやった。その後、しこりを更に大きく切開し、中をある程度きれいに掃除してから、ステンレスのクリップを1本かけてもらって、彼は夕方、我家に帰って来た。

毎日抗生物質をやること。消毒すること。Y先生は、そう指示した。人間様用のビブラマイシン100mgの錠剤を半分に割って、一日50mgやることにした。一週間もすると、ぐんぐん良くなり、しこりも随分吸収され、浸出液も減少した。
それにしても、ロナに薬を飲ませるのは大変だよ。実に上手に吐き出すのだ。この牙を見てくれ。病人とはいえ、お猫様に、お薬をお飲みいただくのも大冒険だ。

2週間もすると、ほぼ完全に閉鎖した。あとは毛が伸びるだけだな。大した回復力だよ。やはり野育ちというか、雑種だからかな。我々も野生でなければ。

すっかりよくなって来て、今日も、机で仕事をしているネコパコ母さんの前に上がって来て、書類の山をいじくり、

完全に前を占領して、

わざわざ、精一杯大きく伸び広がって、仕事の邪魔をしたり、

毛繕いをしたり。

うちのロナは、親の邪魔になっても、どうでも、手間をかけさせようとする。きっと、彼らの野生がそうさせるのだ。野生の要求であれば、応えてやらねばならない。

猫でさえ、これほど甘える。人の子はなおさらだろう。それに応えて、手間をかけてやらなければならないのは当然だろう。そのうち、人の子は、素直には甘えなくなる日が来るだろう。「キスなんて大嫌い」と言う日が来る。本当は、ずっと、甘えていたくっても。

いつの日か、甘えたくても甘えられず、精一杯、強きをよそおって生きて行かねばならぬ日が来る。タフでなければ生きて行けないのがこの世らしいからね。

If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

チャンドラーの「プレイバック」の中の主人公フィリップ・マーロウのセリフだ。優しさがあってこその強さ。そうしたhardさもgentleさも、幼い日の存分の甘えとそれに応えての精一杯の手間ひまから育つものと信じたい。自然の中に内在する全ての優しさと強さが、時間と手間をかけて醸成された土壌から生じるように。

彼の隠れた爪と、我家の床の至る所にある爪痕。
彼がいつまでも私たちと共にいてくれたらいいのに。
どちらが先か分からんけどね。


2009年9月11日金曜日

夏の置き土産 <ライネケ>

8月が去り、9月になった。

このところ、ずっと雨が降らず、植物も疲れ気味だろうよ。

うちの中庭には、シラカシの木が植えてある。植木屋さんの仙波農園の次男坊である植木職人次郎さんに因んで、「次郎」と名付けている。

9月9日夕方、ネコパコが大騒ぎしてやって来た。二階の中空中庭から「次郎」の葉を避けながら上から水をやっていたんだが、急に左腕がヒリヒリヒラヒラし始めたんだ、と言う。

赤くなって少し腫れている。専門的には、紅色丘疹が集簇して浮腫性紅斑をなす、という風に表現する。ヒリヒリヒラヒラは灼熱刺激感という。

きっとイラムシにやられたんだ、というので、ネコパコは早速洗って、アイスパックで冷やしている。

それで犯人は?

いた、いた。「次郎」の葉の裏に。葉を半分食っている。

いわゆる「イラムシ」という奴で、「イラ蛾」という毒蛾の幼虫だね。かなりの迫力だ。見ているだけでもかゆくなりそうだ。こういう症状を起こす毒を持つのも何か意味があるのだろう。もし、鳥がこいつを食べたら、鳥はどうなるのかね。

去年、表の駐車場庭のヤマボウシをすっかり裸にしてしまって、その後、ヤマボウシが枯れかけた原因がこいつだ。こやつ、今年は「次郎」に来たか。うぬぬ、憎っくき奴め。

翌日、ネコパコ事務長は、すっかりおさまった、と言う。受傷直後、直ちに洗った気転が、功を奏したに違いない、とすっかり上機嫌だ。「あれが良かったのよね。きっとね。」てなことを言ってる。

イラムシにやられると、そのすぐ後から、灼熱感が起き、赤くなり腫れる。一旦治まったように見えて、また赤くなり、今度はかゆくなる、と「物の本」に書いてある。

ウフフ・・・。

「誰しも自分がやった事が良かったのだ、と思いたいもんだよ。放っておいても、良くなったかもしれんよ。」とライネケは答える。
「皮肉な人ね。」とネコパコは言う。

更に翌日・・・。
ネコパコが、「また赤くなって来た。今度はかゆい、かゆい。」と、騒いでいる。

やっぱりね。教科書の通りだ。

ネコパコ、敗れたり!