<長かった夏の日の思い出>
真夏のある夜、我家の屋上から、隣町の花火大会を見る。
色が変わり、落ちて行く。高度どのくらいで爆発するのか? 真下で見ているとどんな風なのか? 上がったあとは、真っ暗の闇が残る。
今年の夏もいろいろあった。
学園の中四国部懇談会のため、ネコパコ事務長と東京より帰省して来たShigeと三人で、高松に行って来た。高松港近くの岸壁より高松港の沖合を望むと、ディンギーが沢山いる。多分、ヨット教室かなにかの講習だろう。
午後の集まりでは、Shigeも発言した。長い間、学園入学後の彼の真情を彼の口から聞くことはなかった。初めて少し聞けた。さっぱりと明るい口調だった。
あの年頃、不特定多数の人々を前にして、ライネケはどのくらい、語ることができただろう。物怖じせず、堂々と。
西条の嶢風庵(ぎょうふうあん)に行った。これは、旧西条藩の家老職の後裔の屋敷を美術商品展示と販売とちょっとした料亭としたもので、その日、ゆかたを着ていけば、特製手ぬぐいを呉れるというので、わざわざ三人揃って、はるばる西条まで出かけたのだった。Shige君、もっと上を向いてくれ。
とうとう、夏が終わり、Shigeが東京に引き上げる日がやって来た。ささやかながら、ちょっと豪華な夕食は手巻き寿司だった。
JR松山駅前、午後8時40分発。間に合うには、あと、20分くらいしかないけど。食後のコーヒーを飲んで行こうか。
Shigeの分のコーヒーもいれよう。ミルクを入れ過ぎると、コーヒー牛乳になっちゃうぞ、と言ったのに・・・。そろそろ、経験に学べよ。
彼は高速バスに乗って帰って行った。ホットドッグ株式会社のキラキラ号だと。
えらく派手なバスだな。心なしか、今年の夏、彼の顔が、今までで一番明るい。髪の毛も、ネコパコに刈ってもらってさっぱりしてるしね。「髪の毛を刈ってもらう」って、英語でなんていうんだ?なんて、くだらないことを聞くのはよそう。元気であればそれでいいか。
午後8時40分、彼を乗せた真っ赤にお星様だらけの高速バスが発車した。彼が去った。
ネコパコと二人、帰宅してみると、空になった3客のコーヒーカップが残っていた。
「コーヒーはね、飲んで行って、最後に砂糖が甘いのがうまいんだ。だから、適当にかき混ぜたら、ゆっくり飲むもんだ。」
父親ともあろうものが、こんなどうでもいいようなことしか教えることがないのか。
一番沢山、砂糖を入れるのは、ライネケだな。カップの底に砂糖が残っている。残るものに何かを感じるのは何故なのか。
今夜、末っ子のShigeが、夏休みの長いぐたぐた生活を終えて、また、東京に帰って行った。我々両親は、何度、心細い思いで、こうして高速バスを見送ったことか。彼はたくましく、強くなっているか、成長しているか。そもそも、我々にそう問いかけ、要求する資格はあるのか。
彼には彼の悩みがあり、問題がある。それを乗り越えるのは、彼自身の力によるしかない。
「おのれを洲として、犀の角のごとく、独り、歩め。」
彼がいなくなって、なんだか、家の中が暗くなった気がする、とつぶやいたのは、ネコパコ事務長だったのかな?それとも、空耳?
Shige君、一ヶ月間以上も、家の中を照らしてくれて、ありがとう。ただし、もっと明るく照らしてくれたら、もう一つ、良かった。
夏休みも終わった。
10 件のコメント:
<ネコパコ>
昨日の午後shigeは、讃美歌326番を鼻歌に床の雑巾がけをしていた
彼が夏中使っていた机の上や周辺が、今日はがらんとしている。そこにロナが思いっきり長く伸びて惰眠をむさぼっている。
関東地方に接近中の台風の影響か、ちょっと湿度の高い風が吹きぬける
自信なげなハーモニカの音はしない
人によっては立ち止まって周囲を見回した時、必要なら仲間が見える歩き方が似合うかもしれないと思う
求めた道がおのずから通じて行く、犀が良ければ犀のように、驢馬が良ければ驢馬のように
あんまりひどく突進して自爆しないように、おばかな母は時々そう思う
それにつけてもこの犀は立派だった
「犀尊」と名付けられた前漢時代の酒器だけれど、かの国の文化に、畏敬の念をおぼえた
二年半前、国立博物館でshigeと見る機会があったけれど、精神的に余裕のなかった彼は覚えていないかもしれない。
そうであればちょっと残念である
<ライネケ>
讃美歌の鼻歌を伴奏に、床の雑巾がけか・・・。いい所あるじゃないか。
ホーナーのブルースハープは、持って行ったかな?ブルースハープも単純な分、なかなか難しいもんだ。彼の心を慰めてくれるような友だちになるといいけど。
先秦時代には中国の中原にも犀がいたのか知らん。あの犀は立派だね。「犀角の教え」っていうのは、インドのお釈迦様の教えだけどね。
都内を歩いていると
時々、赤くてお星様キラキラのバスが
走っているのを見かけたが
あれだったのか。。。。
あのデザインはいかがなもんかと思ってたんだよね。
人にはそれぞれのペースがあって
年相応の悩みと挫折と克服があると思う。
彼は彼なりにそれに対処しているはずです。
たぶん、あの年頃の男の子たちに比べたら
早すぎた困難に立ち向かって乗り越えてきたはず。
サイって凄く視力が悪いんだってさ。
そんでもって、何かに激突したその感触で
「あ、なんかにぶつかったな」って感じるんだって。
よく、列車に突撃して死んじゃうんだって。
列車が見えないから、激突した後に気づくの。
。。。。それは、ちょっと。。。。。
うちの家系はみんな目が悪いけど
一応、サイよりはいいから
それで良しとしませんか?
列車に激突した後ってのは。。。。。痛いよ。
chica
<ライネケ>
そうだね。困難との出会いが早すぎた。
彼に、さっさとなんとか解決しろ、とかいうべきではない、と思うんだが、彼に要求してしまいそうになる。そのくせ、そういう状況に彼を追いやった、ということに関して、負い目を感じる。で、結局、黙って、見ているしかない。
でも、彼も随分衝突して来たけど、意外にタフなようだ。
彼が困難を自分で乗り越えられますように。固くて厚い鎧よりも、寛容を身につけてくれますように。
ウチのパンチがまだ若かったころ、最寄会にやってきたShige君たちが、その当時の名前「パンツ」をとても面白がって「パンツ」「パンツ」とはやしていたのを思い出します。あれは4,5歳ごろだったでしょう。幾多の困難を乗り越えて?もうあんなに大きくなっていらっしゃるのですね。これまでの色々な経験からくる成長のあかしをそれなりに持った若者に成長されたようです。
1ヶ月の存在感は大きかったことでしょう。
<ライネケ>
kurashiki-keiko様、
Shigeは、本当に、場所ふさぎなお荷物となって、一ヶ月半ほどの長きにわたって、我家において、存在感を発揮し続けてくれました。
父親と母親とでは感じ方が違うとは思いますがね。
あの年齢の青少年特有の無愛想、不機嫌、立ち上がりの悪さ。「キスなんて大嫌い」っていう絵本がありますね。あの年齢の頃、私自身、両親に対して、どうだったんだろう、と反省します。
Shigeの心と体が、並行して、成長してくれることを祈ります。
<ネコパコ>
日頃いない人が居たわけだから、確かに異和感がありましたが、成長を感じる一面や、実際力をよく出してくれたことの数々や、どれだけ伝わっているんだろう!!という私がわの苛立ちや、それこれ含めて今の状況でした
ほんとはもっと気に掛けてやらなくてはいけないのに…と思うと何だか少しすまない気さえしています
父親と母親では確かに随分感じ方が違うようです
居ても寂しいし、居なくても寂しいし、そんな所です
<ライネケ>
男親と女親の違いについては、諸説ありますね。
我家の白猫ロナは、断種しているけど、雄猫です。そのロナの、ライネケに対するのとネコパコに対するのと、甘え方が微妙に違うんだね。う〜ん、うまく言えないんだけど、何か違うんだ。
そして、この4年間ほどは、ライネケ、ネコパコ、ロナの三者で、一緒に暮らして来たわけだけど、ネコパコが外出していて、ライネケとロナだけの時と、ネコパコが帰って来たときとでは、また何か違う。
さらに、この三者に、もう一人二人が帰省して、我家にいると、ロナの態度がさらにまた変わる。
宇宙天体の三体問題といって、お互い重力を及ぼしあっている惑星の動きを解析しようとするんだが、変数が複数ある連立微分方程式は、最新の大型コンピューターで解析しても、解が出ないそうだ。
人と人との関係は、男女の問題を引き合いに出すまでもなく、分析出来ない。誠心誠意、情義理を尽くすまでだな。
一家で、浴衣姿 いいですね。Shigeちゃんの浴衣姿 よく似合ってる。
私の、夏は、食あたりと、変わらない日々の生活で、終わったみたい。涼しくなって、道後温泉に、行きたいなと、思ってます。
YOU wat
<ライネケ>
食あたりは軽くて済んだのですか?
今年の夏は前半降らないかと思ったら、ひどく降って、そのあとは全く降りません。
もう一つ、バランスが悪かったですね。
道後は、あまり客が増えている気がしません。松山は観光と言っても、二度も三度も行こうという気になる所がないです。住む人にとってはいいと思いますがね。
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