皆さんお元気ですか?chicaです。
ばたばたしてる間にもう早5月!
ここで一句
花粉症 どうせ過ぎても 五月病
どーん。。。。。。。。。。
気を取り直しまして、先月、仕事の為にタケノコを掘りました。
農業の危機が騒がれる昨今、地産地消ってやっぱり大事よねってなことで
江戸野菜を最近調べていたのですが、
さて、私がいる区には野菜が残っていないか?
博物館やら資料館やら問い合わせしたり
築地市場の方に協力してもらったりした結果、
千駄ヶ谷という地域のタケノコが区の野菜としては有力ではないかということになりまして
あの手、この手、猫の手、孫の手、裏の手を駆使しまして
とある神社の境内からタケノコを入手したのです。
入手したにはいいが、展示は11月の予定。
写真やら記録やらの為に灰汁抜き、調理、撮影、試食となりました。
まあ、みなさん御存知の通り、私、ちっとも家庭的ではないもんで。
。。。。。苦労したyo!!!
お品書きでございます。1の重:タケノコご飯
2の重:右上から時計回りに
タケノコと鶏そぼろの山椒味噌和え
タケノコ焼き 醤油味山葵添え
タケノコとカブと鶏肉の炊き合わせ
タケノコとミズナのお浸し
以上でございます。
作成時間1時間半。経費その他は持ち出し。
これで企画が流れたら、呪ってやる!!!!!
chica
7 件のコメント:
<ライネケ>
できるじゃないか?
やろうと思えばやれる。貴女は、何でもできるはず。なんにもできない、って事は、何でもやれるって云う可能性なんだよ。
いい器を揃えなさいね。ちなみに、小生は、こちらの義農味噌は麦味噌で、大嫌いだ。
なんにもできない、て…
おねーさん頑張れー。
(他人事のような弟をお許し下さい)
ところで、竹の子って、何竹の芽?
日本の竹って種類多いの?毒竹の子とかいった剣呑なものは聞いたことないしなぁ…。
竹の子、低カロリーで中華に入れても美味しいよ。
sor gama geko
<ネコパコ>
お疲れさん!!
私はタケノコの下処理は定番の米ぬかで茹でる方法ではなく、塩をまぶしアルミ箔でくるんでオーブンで丸焼きするという方法です。いっぺんに沢山仕事ができるし日持ちするのがいい。お芋の焼けたような甘い香りに濃厚な味。アクを旨味に変えて食べてしまうという考え方。結構気に入っているのだけれど、焦げたところが黒くなるので、料理した場合ちょっと見た目が悪いのがたまに傷かな。「わら」という岡山の山奥の自然食の料理屋のおじさんが教えてくれました。今はもう無いのかな、本は出版しているけれど。子育てするのに良い環境を求めて、外国へ行っちゃったと聞いたけれどね。
<ライネケ>
タケノコをとるための竹は、一番代表的なのは孟宗竹だけど、その他、マダケでもハチクでもとれるらしいよ。味の違いについてはよく知らないが。
竹というのは土の下に居る間に全ての節ができてしまって、後は節の間が伸びていく事で成長するんだそうだ。君たちも、節はすでにできているといいのだが。
Reineke
昨晩は轟々と風音がとどろいて、東北にあるまじき壁薄き我が草庵は右に左に揺れていました。
でもとりあえずは吹き飛ぶ心配はなし、布団に包まって風の音を聴くのは良いものです。
同じく、雷鳴がゴロゴロと咆哮するのや、大雪が降っているのを、家の中で読書でもしながら鑑賞するのが、ベンハーのような一大スペクタクルでも観ているようで、楽しいのです。
ひょっとしてこれらはみんな、いわゆるモラトリアムの縮小版かもしれんなあ…
さしあたって雨に打たれたり、風に吹かれたりすることはなく。親に感謝!
話の落ちは、ない! gama
<ライネケ>
>ひょっとしてこれらはみんな、いわゆるモラトリアム
>の縮小版かもしれんなあ…
いや、ひょっとしてじゃなくて、全くモラトリアムそのものだろうよ。それはそれでいいんだ。こちらもそのつもりだから。ただしネコパコ母さんはそのつもりではないかもしれんが。
私は思うのだが、人は有意義にだけ時を過ごすべきものではない。君がぼんやり空を見上げたり、こずえの風の音を聴いたり、流れ去る川の水に街の姿を見送ったり、ふと、走り去る電車の音や、雑踏のざわめきを耳にしたり、全て何もかもが、何かから、君に与えられた大切な時間だと思わないか?
何か役に立つこと、意味のあることだけをしなくてはならない、とは思わない。人生は過ぎ行くもの、帰らざるもの、今のこの瞬間をそういうものだと、身に沁みることがある。そういう心を持つべきだと思うよ。
ひまがある時は、せいぜい書物を読んで豊かな心を育てて下さい。古典を。そろそろ、自分の蔵書を育てなさい。本棚を見れば、その人の程度が分かるよ。仕送りにはそういうのも含まれています。自転車のパーツ代やらにばかり化けるのは駄目だよ。
Reineke
<ライネケより>
布団の中で春の嵐に耳を傾けるgama君に進呈する。
「虞美人」
李煜
春花秋月何時了
往事知多少
小樓昨夜又東風,
故國不堪回首月明中
雕欄玉砌應猶在
只是朱顏改
問君能有幾多愁
恰似一江春水向東流
春花秋月 何れの時ぞ 了はる
往事 多少なるを知る
小樓 昨夜 又た東風
故國 回首に堪へず 月明の中(うち)
雕欄(ちょうらん)玉砌(ぎょくせい)應に猶ほ在るべし
只だ是れ朱顏の改まるのみ
君に問ふ 能く幾多の愁ひ有りや
恰も似たり 一江の春水 東に向かひて流るるに
春の花も秋の月も、時が来ればめぐり来るけれど、
帰っては来ない楽しかった日々の多いことよ。
私の住む高殿に、昨日も随分東風が吹いた。
月明かりの中、故郷を思わずにはいられなかった。
あの手すりも石段も、今も変らずあることだろうね。
でも、いつかは青年の顔も老いて行くことだろう。
君に訊こうじゃないか。いかほどの悩みがあるのかね。いくら憂えようが、それとはおかまいなしに、
過ぎ行く時の流れは、東に向かって流れ去ってやまない春の江水のように、けっして帰っては来ないのだよ。
「故國(ここく) 回首(かいしゅ)に堪(た)えず 月明(げつめい)の中(うち)」
「あたかも似たり 一江(いっこう)の春水(しゅんすい) 東に向かいて流るるに」
千古の絶唱だ。
李煜(りいく)937-978 は宋に滅ぼされた南唐の後主
Reineke
コメントを投稿