2009年6月9日火曜日

北陸地区特派員だより <ライネケ院長>

ついに、本ブログにも特派員ができた。今回の隠密特派員は金沢在住の Professor Mochi-mochi氏です。彼の最近の探索による発見物を紹介します。

MochiMochi氏が金沢市の辺りをほっつき歩いていると、こんなものに出くわしたって。
おやおや、これは、これは。
「ヒデヨシ」ではないか。

こんなところに、「ヒデヨシ」がいたんだね。

喫茶「アタゴオル」っていうらしいな。なかなか好い雰囲気ではないか。扉の前の、「ヒデヨシ」が、湯気の立つ黒いカップをささげている看板もいいねえ。残念ながら閉店しちゃったみたいだね。

昔は喫茶店には、随分、金を使ってしまったけど、今は、自分で豆を炒って、コーヒーをいれるので、まず喫茶店には行かないね。行くとしても、ドトールコーヒーくらいかな。どんな喫茶店に行っても、それほどかわりばえするコーヒーが出てくるわけではないからね。

我家にも漫画はあり、マスムラヒロシのアタゴオル物や宮沢賢治物と、畑中純の「まんだら屋の良太」の大部分が書棚に並んでいる。いずれも30年前後前買ったものだ。他に漫画関係のものは、宮崎駿の作品群くらいかな。

「ヒデヨシ」との出会いは、1978年、京都で医師国家試験の勉強会を開いていたころ、O氏の下宿先で、漫画雑誌「少年」の切り取りの束を見つけた時だね。妙な、太った猫が、破天荒で好き放題に振る舞うんだが。「ますむら ひろし」という若手の漫画家の作品だった。
ヒデヨシは雄なんだと思うけど、妙に女性的な面もあったりして、よく分からんところがある。後足二本立ち直立歩行する。ヨネザード地方のアタゴオルという地域にちゃんと自分の家を持って住んでいるという。多分、ますむら氏の出身地である山形県米沢市の愛宕山にちなんだ、宮沢賢治のイーハトーブみたいな所なんだろう。


彼の代表作「アタゴオルは猫の森」

赤い頭巾のヒデヨシとその友人のテンプラが鮮やかな緑色の葉の上で踊っている。アタゴオルの住人仲間達も見える。

そのころのますむら氏はビートルズのファンだったと見えて、至る所にビートルズの歌詞らしき呪文が出て来る。

マスムラヒロシっていう人もかなりの変わり者らしくって、一度京都に来るっていうので、京都下白川通の某喫茶店だったかなんかの地下のホールに遊びに行った。その時、ネコパコは買ったばかりの「アタゴオルは猫の森」を持って行って、サインしてもらった。1980年3月、「岩崎さんへ」っていうのはネコパコ事務長の旧姓だ。

春の夜の半地下にあったステージ上で、マスムラさんはギターを弾いて、声張り上げて、歌ったんだけど、

「月の光に〜、照らされて〜、見上げりゃ〜、空には〜、銀の星〜。
さあっさ〜、踊ろよ〜、長い髪を〜、振り動かして〜え〜。
さあっさ〜、踊ろお〜っ、夜明っけっまあでえ〜っ。
タラッタ・ラッタ・ラッタ・ラッタ・ラッタア〜!」

というもので、
ナマケモノのヒデヨシそのものだった彼は、当時、
「ああ〜、音楽だけで食って行けたらなあ〜。」
なんぞと言っていたけど、はっきり言って、我々はステージの上でギターを弾いてるナイーブそうな青年の彼を見ながら、これがビートルズをあがめ、音楽で食って行きたいと言うマスムラヒロシの音楽なのか、とあきれたよ。
やっぱり、あんたは、音楽より、漫画かイラストで、食って行きなさい。今なお、メロディー付きで思い出すけど、今思い出しても、おかしい。ありゃなんだったの? ワハハハははああああ〜!!。ごめんよ、マスムラさん。気を悪くしないでください。


























「永遠なる瞳の群れ」に彼の初期の作品が収録されているのだが、彼の作品の随所にビートルズの影響が濃厚に表れている。彼のイラストレータあるいは、デザイナーとしてのセンスの良さがよく分かる。

極めてナイーブな人柄らしくて、マスムラヒロシ・ファンクラブってあったんだけど、その主要メンバーのファンクラブ運営方針が嫌だったらしく、彼自身が降りちゃったので解散してしまった、というような事があった。何となく、分かるよ。その嫌だった状況や彼の気分が。

今の彼は、ヒデヨシが宣伝の登場人物として使われたり、随分メイジャーな存在になって、結構楽しく、豊かに暮らしてるんじゃないかな、と、勝手に想像しているのだが。間違っていたら、マスムラさん、ごめんなさい。ヒデヨシなら、「紅マグロ何匹かくれるんなら、肖像権くらい幾らでも売るぜ。」って言いそうだ。

彼の初期の作品の中には、現代文明批判というか、地球上最悪の生き物としての人類批判、ビートルズ的なもの、ロック的なもの、ヒッピー文化に対する賛同、破れかぶれで野性的なエネルギー、その一方で神経質でナイーブな、時に繊細すぎて脆い、大人文明に不信感を募らせる子どもの心、そういったものに満ちている。

アタゴオルのヒデヨシの家。

こんな家があったら、住んでみたいと思うだろう? 

緑の森や原っぱと降り注ぐ太陽、透き通った月の光、青い色の冷たい風。葉っぱや花びらの一枚一枚、毛の一筋一筋が丁寧に書き込まれた彼の挿絵に、今なお、私たちは、失われつつある何かを見いだそうとしてしまう。










梅雨の雨上がりの午後、再び日の光がさして来たとき、耳を澄ましてごらん。どこか遥か彼方から歌声が聞こえて来ないか?


THE LONG AND WINDING ROAD 
THAT LEADS TO YOUR DOOR
WILL NEVER DISAPPEAR.
I'VE SEEN THAT ROAD BEFORE.
IT ALWAYS LEADS ME HERE.
LEAD ME TO YOUR DOOR.

"The Long and Winding Road"
Lennon and McCartney   1970

りみ つう よお どおおおお〜
いぇ いぇ いぇい いぇい いぇ〜〜

(じ〜ん、きまったな・・・。)


追記:Professor Mochi-mochi、いや、M君。元気にしてますか? 奥さんも元気? あの頃、君も私も若かった。オートバイで一緒に走ったり。あのころを思い出すと胸が苦しくなります。緑、太陽、自由。そして若さ。あのころ、私は、大人っていうのがこの程度のものならば、いつまでも大人にならないでいよう、と思いました。でも、いつしか年が経ち、私たちもかなり年寄りになって来ました。M君がいつまでも青年でいてくださるよう、そして、私がこのまま子どもで在り続けられるよう、祈ります。奥さんによろしく。

8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 以前、仙台から岡山の実家まで自転車で帰ったことがありました。
仙台から本州を横切って新潟に入り、延々走ると、絶壁を穿つ様にして細い国道が続き、トンネルと青い空が繰り返し続いていました。

「あ、アタゴオルだなあ…」と思いながら、汗をだらだら流しながらペダルを回していた記憶があります。
日本海のすぐうしろが、信州に繋がる山々なので、夏の盛りに国道脇で冷たい岩清水が湧いていました。太平洋側の地獄絵図とは一寸違った旅でした。

 途中、金沢では父の古い友人のProfessor Mochi-mochiさんに泊めて頂き、一日280kmを走る強行軍の合間に一息吐かせていただきました。
旧き縁はげに有難きものかな
その節は大変お世話になりました。

P.S; 先日、財布を落とし、未だ見つからず。運の悪いときは続くようで、その日のうちにブツかられて自転車の泥除けを割り、虫歯の詰め物が(またしても!)外れた。
合掌!       Geko

匿名 さんのコメント...

<ライネケ>
そうだよ。mochi-mochi先生には礼を尽くすように。

どうやらネット上では、君の奥羽・出羽山系横断行は、仙台から愛媛まで、ずっと自転車で帰ったという伝説になっているようだよ。

財布くらいならいいけど、我が身を落とし、自分を無くさないように。一見、元気そうにしているけど、実は自分を失っている奴って多いよ。

なるべく、なくさないに越した事はないが、これからも色んなものをなくすだろう。金で済む事ならよいのだが。

Reineke

匿名 さんのコメント...

<ネコパコ>

あらら…24歳の君は今年、確か厄年だと思います
気をつけてください gamaくんへ

私は24歳の頃マスムラさんに会いました。
ネズミトランプ、いぇ〜い! だもんね
ファンクラブ特製のトランプと、オリジナル葉書はいまだにちゃんと置いてある
そして何といっても国試四人組のために作ってあげた、踊るヒデヨシとヒデマルをアップリケした「合格祈念ハンカチ」は、今見るとあほくささの極地ではあっても、懐かしき青春のモニュメント!!あれに皆で願掛けしたので、春には全員見事医者になれたのさ!と私は確信してるので、いまだに捨てられませんね。

マスムラ氏は今頃はプール付きの家でのんびりやっているらしい。メタボっぽい腹回りで座っている姿がブログでチェックできました。哀しいような複雑気分
スペインのアンダルシア地方に行くのを楽しみにしているのは、私と同じだな…

匿名 さんのコメント...

<ライネケ>
ネコパコ事務長は物持ちがいいんだね。国試4人組みかあ。Haruno君も人のやる事はやっといた方がいいぜ。って言っても、一番危ないのはオイラだけど。

マスムラ氏がプール付きの家でメタボ腹? ほ、本当かああ? ちっ、ちくしょうおおお。風上にも置けん奴だ。

スペイン? アンダルシア? なんのこと・・・?

keiko さんのコメント...

おかしな猫ちゃんの絵には見覚えがないものの、青春のモニュメントの・・・というのには深く納得。
 そっかぁ、国家試験4人組とは、仲間がいていい時代だったのですね。ちなみにわが父は田舎の家に引き上げての受験勉強は蚊と鶏の鳴き声に悩まされつつ孤独にやっていたらしいとその昔の父の書いた文章で知りましたっけ。
 応援団の岩崎さんは手作り刺繍入りハンカチをお守りに?これまたいいお話で。昔っから器用だったのね。さすが。

匿名 さんのコメント...

<ライネケ>
keiko様、ご訪問有り難うございます。

ライネケは今もそうだけど、そのころから、ずっとはぐれ者で、クラスメートたちが最終学年の夏くらいから数人ずつのグループになって、国試対策の勉強会をやっているのをよそ目に、毎日医学以外の勉強(?)ばかりやっていたのです。

そしたら、春の国試に落っこちゃったのですね。国家試験の勉強法なんて知らんぞ。どうしよう。それで、困った挙げ句、一人で悶々としていてもあかん、というわけで、クラスをまとめていた連中のねぐらに相談に行ったら、滑稽なことには、奴らも落っこちていたわけです。

それで、ここはやはり共闘を組まねばならん、というので、私も含めて男3人、女1人の落ちこぼれ医学生4人が、各々のねぐらに順繰りに集まって、毎日3時間くらい勉強会を開いたわけです。

ちょうどその頃、かの中国の文化大革命が四人組の策謀だった、ということになって、騒がれていたので、国試4人組ということになったのです。

土日は勉強会なしで、月に一回くらい、京都の北山山系に登りに行ったりしました。「岩崎さん」はオブザーバーというわけで、皆と一緒に山に登ったり・・・。出町柳の喫茶店で解散。懐かしいですねえ。

医学部100名の中の落ちこぼれ4人組。今から思い出せば、思いがけない出会いとなり、皆、優秀なだけでなく、立派な人達でした。正直言って、全然自信なかったけど、秋の国試には、全員、めでたく合格し、それぞれ立派に医者をやっています。一人なんか、某国立大学の衛生学の教授をやっています。

本当に、よかったねえ、受かって・・・。どうなるかと思ったよ。医師免許がもらえなければ、何の取り柄もないのが医学生なのです。

国試4人組・・・。あの頃は、若かったねえ。あの頃勉強したことは意外に役立ってますよ。今でもね。

Haruno君、人のやる事はやっておきなさいねえ。あとで辛い思いするからね。Sorano君、Chikaさん、Shige君、精々色んな経験を積んで大きくなって下さい。心より願う。

Reineke

匿名 さんのコメント...

けっこう毎日忙しく暮らしてますよ
           Haruno

匿名 さんのコメント...

<ライネケ>
Haruno君、君の細さを見ていると心配になる。オイラもとても頑強タイプとは言えないが、君よりは頑丈だ。小さかった頃から、風邪を引くといつも高熱が出て大変だった。アトピーもひどい。けっして無理のきく肉体とは思えない。自分を守るよう、内なる野生の声に耳を澄ませなさい。医学の勉強もいいが、実学以外の「文」も身につけなさい。文質彬彬として、然る後に君子、だよ。

Reineke