何かの巡り合わせで、草花を見て暮らすことになった、まだまだ若いChikaが、今まで一度も花を見せなかった植物に蕾を見つけた。そして、悲しくても、苦しくても、怖くても、それでも生きていかなければならないことだけは学んだ、と言う。
紅楼夢の「葬花」の段を思い起こした。
主人公の少女は、散り敷く桃の花びらを憐れんで、掃き集めて、自ら刺繍した袋に入れ、庭に掘った穴に埋めて葬ってやる。妙な趣味なんだが、花のお葬式なんだ。彼女は、春の空気の中で、花を埋葬しているうちに、我が身も、この世も全て移ろい、去り往くものである事が身に沁みて、覚えず、感極まって、涙を流すのだ。
花謝花飛花満天,紅消香断有誰憐?游絲軟繋飄春榭,落絮経沾撲绣簾。
一年三百六十日,風刀霜剣厳相逼,明媚鮮妍能幾時,一朝飄泊難尋覓。
儂今葬花人笑痴,他年葬儂知是誰?試看春残花漸落,便是紅顔老死時。
一朝春尽紅顔老,花落人亡両不知!
花はしぼみ、花は飛び、飛んで天に満つ。紅は消え、香りは断てど、誰ありてか憐れまん?
・・・・・・
一年三百六十日、風は刀、霜は剣のごとく、厳しく相迫れば,明媚鮮妍能く幾時ぞ。
一朝飄泊すれば、尋ねもとむること難し。
我、今、花を葬らば、人、痴なりと笑うも,他年、我を葬るは、是れ誰とか知るや?
試ろみに看よ、春の残花の漸やく落つるを。便わち是れ紅顔の老いて死するの時。
一朝春尽きて紅顔老い,花落ち、人亡じて、両つながら知らずとは!
と詠うのさ。美しくて、不吉な章句だ。どうして、貴女はそんな不吉なことを考えるのか? いよいよこれからといううら若い乙女が。
「あこがれを知るものにしか、私の悩みは分かりません。」というゲーテの詩を引用したくせに、私には、ゲーテの真意は分からない。私には、Chikaがどうして消えてしまいたいのか、理解出来ないけれど、彼女の父親なりに、不器用にではあるけれど、彼女を思っている、と伝えたかっただけなのだ。
口では、乱暴そうなことを言いながらも、やはり、結局は、父親として、漠然たるあこがれと若者らしい熱情を持って、世界というものを、愛情というのか何というのか、一種の情念の凝縮と見てご覧と言いたかっただけなのだ。
露と答えて消えてしまいたい、なんて、そうそう簡単に、消えてしまわれるわけにはいかない。私たちには生き物としての「生きる」という仕事がある。花を見てご覧よ。
思いおこせば、何度も何度も、無神経で理不尽な父親であり、あるいは母親であったろう。おのれの、何かに憧れる心を、他にも押し付けてはいけなかった、と言われれば、その通りだ。
すれ違い、誤解、言い過ぎ、八つ当たり、腹立ち、そう、あらゆる機会を逃さず、私たちは、多過ぎる過ちを犯して来た、と思う。
でも、人生はそういう過ちに満ちていて、ライネケは、もう自分の過ちをいちいち反省するのは面倒になった。また、また、やっちまった、と思うことは、今でも多いが、しょうがない、ええい、どうにでもなれ、ほおっておけ、とか言って、時間が過ぎるといつの間にか解消してくれると思えるようになった。
Chikaは、私の思いを、その時は傷ついても、やがて、私たち自身の思ってもいなかったような風に、いや、むしろ、いいように解釈し、そうして、親子の間は続いて行くだろう、と信じたい。もちろんChikaとの間だけでの話ではないよ。
振り返りみれば、夫婦の間も、親子の間も、常にすれ違いと誤解があった。
でも、それでも、二人の縁は続き、子どもは育ってくれると信じている。一生懸命、水をかけてやっても、しおれてしまう草花もあれば、ひどい条件のもとでも、いつの間にか強く逞しく成長しているものもある。
それでも、とにかく、どんな水であれ、ありあわせの水をかけてやらなければ、と思ってしまうのだ。余計なお節介だと言われるかもしれないが。
笑顔よしのChikaさんには、笑っていて欲しいものだよ。
花が笑っている、と言うじゃないか。