近況報告をする。
2月13日金曜日は、一日中、ひどい大風が吹いた。春一番? もう春なのか。
夜、床に就いて、春一番が吹き荒れるのを、枕越しに聞くと、ヘッセの「ゲルトルート 春の嵐」っていう小説名を思い起こす。
この時期になり、沈丁花の花の匂いが街角に漂いはじめると、ライネケは青春時代のすったもんだのトラウマで、軽度の鬱になる。
2月14日土曜日は第2土曜。休診。ちょっと早いが、暖かいし、昨年11月以来、乗っていなかったアクアミューズを海に出すことにした。
風はかなり強く、波も高かったが、何とか出艇できた。ブームパンチを一発食らったが、沈もせず、帰って来れた。渚に戻って、高い寄せ波に打ち寄せられて、船が水びたしになってしまった。ひっくり返して水を出そうにも、重くてびくともしないのを苦労惨憺して水を出した。
その夕方、医師会の集まりで松山で宴席があり、翌日、検診があるというのに、飽食した。帰りは、摂取したカロリーを燃やすべく、大街道を市駅まで歩いて、最終電車で帰った。
翌日は、松山の愛媛県総合保険協会で検診を受けた。倉敷時代から、コレステロールが高くて、総コレステロールが240位あった(正常値<220)。なあに、コレステロールなんて、高い方が元気で長生きするんだ、おいらは気にしないよ、ってなことを言ってたんだけど、昨年は、なんと270まで上がっていて、おまけに腹囲も、CT画像での内蔵脂肪も増えていて、ちょっと悲観した。一昨年末、自転車から落車して、頭と肩を強打してから、複視にはなるし、昨年春から五十肩にはなるしで、いい事がなかった。
さて、今年の結果は、総コレステロールが240程度に戻り、腹囲も内蔵脂肪も減っていた。複視も耳鳴りも五十肩も治まり、去年秋から、弓もよく引いたし、ヨットもよく乗った。最近は、往診も松前町内ならなるべく自転車で行ってる。
伊予じいちゃんが死んだのが75歳だった。似たような遺伝子を持つはずのライネケも余り長生きはしないだろう。元気でいられるのも精々あと20年程っていうことになる。幼い時から、喘息持ちで、必ずいつかは死ぬんだって思うと怖かった。どうせ死ぬのなら、神様はどうして人間にひとたび生を与えておいて、生を奪うのだろうと思った。考えれば考える程、悲しくなって、小学生4年のくせに不眠症になった。死について考えるのはよそう、と思ったら、眠れるようになった。近頃、また死について考える。今は眠れるようだ。そのうち、眠ることが最大の楽しみになるのかもしれない。
伊予じいちゃんが生きていた頃、大学に入学してまもなかったライネケ青年は、
「春になって、緑が萌え出し、真っ赤に花が咲くのを見ると、私は、悲しくなります。どうして、あんなにきれいに咲き誇るんでしょう?いつかは必ず滅びるというのに。」
と訊ねた。そうしたら、伊予じいちゃんは、
「いや、俺にはあれは、お互いに美しさを謳歌し、生を競って、自慢しあっているように見えるよ。」
って言うんだ。そうして、更に言うには、
「君と俺とは違うからな。でも、君がそういう気持ちになるということは理解出来るよ。」
今も時々、亡父老ライネケの言った言葉を心に繰り返してみるけれど、最後の言葉の意味が分からない。訊きたいけど、もういない。
30代半ばの青年医師だった頃、ある女性に同じことを訊いた。「それって、臆病なだけじゃないですか。」と一蹴され、臆病な自分を恥じた。その通りだと思った。
何度も春が来て、ライネケも、いつしか、以前程は悲しく感じなくなった。年とってきたせいかもしれない。
最近、いつも何かがないといっては、探し物をしている。眼鏡を忘れ、鍵を忘れ、時を忘れ、そのうち、我が身を忘れるかもしれん。そうなったら、お別れだな。
いつか、ライネケの子ども達も、ライネケ父さんが妙なことを言ってたって、思い出ばなしをする日が来るだろう。
今日21日土曜日、仕事が終わって、懲りもせず、また海に出た。風がなくなって、夕暮れの海面をあてもなく漂った。風が冷たくなってきた。
春になると決まって、一体、何のために、緑は萌え出し、花は咲くのだろう。どうして、何の意味もないのに、人は生まれて、生きて、死ぬんだろう。どうして、やっぱり今も、ライネケ少年は悲しくなるんだろう。どうして? どうして? まだ浅き春の夕闇が一層濃くなって来た。
14 件のコメント:
夜の冷たさも冬が薄まり春が匂うこの頃です
先日何となく見たテレビで十姉妹のさえずり方が非常に複雑な歌であることを知りました。
十姉妹はもともと野生のコシジロキンパラを何世紀か前に品種改良して作られた鳥ですが、コシジロキンパラは単純な歌しか歌わないそうです。
最近の研究では十姉妹の雛が親鳥や周りの成鳥の歌を組み合わせながらより複雑な歌を歌うことが解明されてきたそうです。
本当に何の意味もないのに、人は生まれて、生きて、死ぬだけなのでしょうか・・・
草木は萌え出し、咲き、枯れます。
川の水は流れ去ります。
人は生まれて、生きて、死にます。
確かに。
だけど、それだけではないと思います。
草木が萌え出し、咲き、枯れるだけと思うのは
川の水が流れ去るだけと思うのは
人が生まれて、生きて、死ぬだけと思うのは
今自分の居るところしか見えてないからだと思います。
草花は種を残し、枯れて肥やしなり
川は大海に注ぎ、やがて雲から雨になって大地を潤します。
きっと人も同じです。
大岐の浜でいつもした焚き火の音を
父さんのオートバイの振動を
怒られてお尻ペンペンされたり
家から閉め出されたことを
小さい頃飼っていた十姉妹を
思い出しました。
最近、自分のルーツを考えるたびに自分の中に核に父と母がいて、姉や弟がいて、祖母や祖父がいて、今まで出会った人いて、採った虫や釣った魚や咲いていた草花や翔んでいた鳥や見上げた空や感じた風や浴びた光や怯えた闇やみんなみんながいることを感じます。そのみんなみんなの後ろ側にもきっと彼らのみんなみんながいるはずです。
尊敬とありがとうの気持ちとともに Haruno
<ライネケ>
いや、Haruno君の気持の優しさや容量の大きさをうれしく思うね。貴男を育てて、大きくなってくれて、よかった。
自己とは何か、世界とは何か、言葉とは何か、夜空の星の如く過去の人々の思索があり、業績や書物がある。先輩風を吹かすわけではない。そういった過去の人々の思索の跡を辿って、自分を見つめてみて欲しいと、若い君に切望する。君に期待している。
Reineke
眠いです。
サークル活動で、後輩に付き合って北海道に行ってきます。
北海道の、とある町で滑走路を借りる交渉をするのです。
企画書を書くのに、二日二晩かかりました…
冬の北海道はどんなでしょうか。
それはそれは壮絶な寒さでしょう。
みなさん、風邪などお引きになりませんように。さよなら、さよなら、さよなら。
Sor
<ライネケ>
北海道は、聞く所では、夜はマイナス6度まで下がるらしいね。仙台は精々マイナス1度くらいでしょ。
松前はプラス5度くらいだよ。吾輩はカシミヤの襦袢を上下着てるから、暖かいよ。夜中だというのに屋上の吹きさらしで弓引いてるくらいだ。
君も、暖かくして、行って来て下さい。
Reineke
<ネコパコ>
春風が吹くと私はみじめなハクション大魔王…
この春は特に花粉が多いとか、先日来苦しんでいる
薬を飲んでも、一度引かれた引き金はそう簡単には変らない。夜も寝苦しく頭がぼんやりして、めまいがする
でもまあ、二人とも人間ドッグで、昨年より基本的にはいい数値でありがたい。
私など身長がまた5ミリ伸びて20歳以来これで合計2㌢伸びたことになる。???いまだに成長期??
フフフ、体重は2キロ減ったし
ライネケは体操に行って姿勢が良くなったんだろうとのたまう。そうかもしれない
でもいずれだんだん縮んでしぼんで行くのね
正直なもので骨密度はだいぶ落ちた。
用心ごようじん
今朝の日経の文化面に釧路の丹頂自然公園名誉園長の記事があった。丹頂鶴は夫婦仲がとても良くて、一旦夫婦になるとどちらかが死ぬまで、いえ、死んで動かなくなっても側を離れず死体を狐やカラスから守るんですって。骨だけになっても行動は変らない。大雨で死体が流されたり、雪の下に隠れたりして見えなくなって初めてどこかへ飛んで行くらしい。
親子の愛情も卵の頃から深くて、くちばしで転がして位置かえをする「転卵」の時などから既に親子で声かけをやっているらしい。他の鳥でもやっているんだろうか?人間にも胎教とか言うのはある。おなかの中に居る時の赤ん坊がなんだかじっと聞き耳を立てているような事は私も経験した
その点でいけば、shigeが一番不幸だったかも…と思う
中の二人が一番やんちゃでいろいろ怒鳴りながら生活していた頃におなかにいた子だからなあ
いろいろ、取り返しのつかないこともあるし、許して下さいねというしかない
今、半分ボランティア立場で乳幼児を持ったお母さん達のアドバイザー的な仕事をしているけれど、アハッ!6歳までは動物としてのシンプルさを大事にして育てなさいと言うしか能がありません
今週半ばから東京で研究会
ライネケを一人おいて行って来ます
留守の間一人で海に行ったりしないで欲しい
東京も花粉ひどいんだろうなあ…
<赤シャツ>
僕は小学生のとき、世界残酷物語という映画を見て、そこで、海がめの風化した骨格を見せられたとき、人間は死ぬんだ、僕も死ぬんだ、と思って、急に不安になりました。お盆に墓参りにいっても 何も感じなかったのにね・・・。
それで、何日か悩んだ末に、母に、何で人間は死ぬの、と聴いたことがありました。母は
「そんげこと しょうがねぇ こってさ」
とあっさり一言で打っちゃりました。
あなたはお子さんから似たような質問を受けたらこうは切り返さないでしょうね。その時はなんと冷たい無学な母親かと思いましたが・・・。
でも僕はそれで妙に納得しましたね。考えたってしょうがない。恐れていてもしょうがない。毎日楽しく生きれば良い。
話は少し違うけど、
男女間の性の問題について 三島は 「それは人間の本能ですから、幾ら考えたって、答えは出ませんね」といっていて、僕はそれも すんなり納得してしまった。考えたってしょうがない。
ハイデッガーが「存在と時間」のなかで、不安と恐怖について定義していますね。
対象がはっきりしていないのが不安で はっきりしているのが恐怖
僕は死に対して不安も恐怖もありません。遺品は歯ブラシ一本になるようにしよう。それくらいでしょうか。考えていることは。
死刑囚なら不安や恐怖もあるかもしれないけれど、普通の人は 死なんて自分では自覚できないのだから
「そんげこと しょうがねぇ こってさ」
で済ましています。
マ、僕は風なんか引いても、運動会で一番になる健康優良児でしたからね。あなたとは違うかもしれないけれど。でも学生時代は、五年生存率5%以下なんて病気にかかりましたねぇ。あれから先は余生だと思っているのかナァ。
ただ、他者が死者ともう話が出来なくなる、それは他者にとって侘しいことだと思います。
"Et tu ? Taro"
<ライネケ>
赤シャツ殿、お元気のようで何よりです。
多分、私は、文中の女性の言った通り、要するに臆病なんだろう、と思います。
ただ、私が言いたかったのは、物事の変化、盛衰、そして、その滅亡に関して、人の気持はさまざまで、私は悲しみを、父は喜びを見るという事だったのです。生死に関する論理や理屈、結論や結果、死に対する態度、対応についてでなく、私と父のいわば人間性の色調のようなものを述べただけです。私は、自分の色調が好きだし、父の色調も、そういうものなんだということで、理解出来る。
あらゆる存在に哀惜あるいは愛惜とでもいえるような感情がある。存在という概念に感情を持ち込むって変なような気がするけど、そうとしか言いようがない気がする。人生が無意味だから自殺するとか、生きるに値するとかしないとか言うのではありません。
で、私が、無意味なのにと言い、理由もないのに、と言ったのは、どうして、世界は、私の前にそのようなものとして姿を見せるのか、見せる理由などあったのか?そんな意味や理由などないはずだのに、不思議だ、ということなのですね。
Haruno君は、どうやら、彼の自己の中に私や私の父や、彼に関わったあらゆるものの流れの存在を感じることに、人の命や人生の意味を見いだすという論点のようです。仏教でいう所の相続ということになるのかな。脈々として相続して、生が受け継がれる。最初は彼の言ってるのは、的外れだ、心情論に過ぎない、浅い、と
思ったんだけど、たまたまだったのか、どうだか、彼の言ってることにある種の真理もあるような気がしてきた。
だって、私の上に言ったことって、完全な心情論だものね。心とか自己とか我とかいうものを認めるかどうかは別としてだけど。
Reineke
近頃 ライネケ院長さんとの会話の中で、死を連想させる様な言葉が、多く聞かれ涙が、でたことがありました。命日の近い亡父が こんな事を言ってたのを思い出します。関わり合いが、深ければ深いほど、悲しみも深いと
私も、総コレステロールが、272で、最近薬を飲み始めました。週3回程 プールに、行ってますが、いやになっちゃうね。もう少し お互いに、頑張りましょう。
youwat
<ライネケ>
youwatさん、こんにちは。
正直言って、コレステロールの高いのは、どれくらい問題にするべきなのか、よく分からない。でも、昨年は急に増えていたので驚きました。食事はネコパコ事務長がしっかりやってくれているので、体質としか言いようがないねえ。
死は常にそこにあり、生と死は一連のものです。理屈の上なら、ちょっと考えれば分かることです。でも、生き物の本能がそれを嫌がるのでややこしくなるのです。
昔、予備校の英語の教科書で、誰かのエッセーかなにかで、誰かの埋葬の場をみながら、
「われら、生の最中に常に死してあり。」
という祈祷の言葉をもじって、
「われら、死の最中に常に生きてあり。」
と考える、という部分があり、感銘しました。
ひょっとして、この逆だったのかも知れません。
Reineke
<赤シャツ>
In the midst of life ビアスの作品です
Ambrose Gwinnett Bierce 1842-1914?
ライネケ先生の心情が切々と自分と重なり
なかなかコメントできなかった。
繁雑な日常の中の深い孤独感
たそがれていまーす。
早春の自然の息吹たちをいとおしく癒されながらも、、、、。
たそがれおK
<ライネケ>
kurashiki-OK 様、
いつもコメントありがとう。
う〜ん、孤独ということは私にはありません。でも、なぜだか、春になると、どこかで疼くのです。初老の野良の溜め息みたいなものです。きっと、そんな雰囲気を楽しんでいるだけなのかもしれない、と自分で思うこともあります。
だから、春なのかも。
Reineke
<ライネケ>
たそがれおK様、
ごめんなさい。いただいた上のコメントは、松山のVのマダムM様だったのですね。ネコパコに言われて、初めて気づきました。
そういう、そそっかしいライネケなので、深い孤独感なんちゅうロマンチックなものは全然縁がないのです。ご安心下さい。
<ネコパコ>
だ・か・ら〜
あなたって唯我独尊 あっちむけホイッなのね
なやみつつ なやみをしらず…
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