2008年5月30日金曜日

徒然雑草   chica

雨が続くとお膝が痛くなるのです。
困った困った。

金子光晴の文が読みたくて古本屋を探し歩いているのですが、
見つかりません。
なんで、「どくろ杯」も「西ひがし」も「這えば立て」も
ないんじゃ〜い!!!!!

イラっとして、内田百閒の「ノラや」を購入。
そのまま、号泣。
いかん、いかん。
なんかこの頃、感情の起伏が激しすぎてしんどいぞ。

5月病かしら。。。。。。



2008年5月27日火曜日

初航海 <ライネケ院長発>

<院長>

ライネケ院長は、乗り物が好き。自転車にも、自動車にも、オートバイにも、そして、ヨットにも乗る。ヨットって云っても、アクアミューズって云って、本当にちっちゃな、笹舟みたいなセーリングカヌーだ。風の力だけで走る。

院長は、昨年12月以来、海に出ていない。風は寒いし、水は冷たいし、波は高かったから。

ある五月の太陽が降り注ぐ日。昼食のあとの空き時間。ライネケ院長は、今年初めての帆走に出かけた。車の上に、イエローのヨットと帆柱を積んでね。


診療所から車で5分。
松前の町の西、塩屋の浜。
南北に長く延びる砂浜。
南は伊予市、双海方面。





北は、重信川の河口を渡って、垣生、今津港方面。風は海風。

満潮に近い午後1時半頃。
舟を渚に運ぶ。





まず、マストを立てる。












帆綱その他の艤装
しっかり、きちんと。
沖に出たら、舟と自分だけが頼り。






準備完了。
ライフジャケットを着て、海面に







船首を風上に向けて、出艇
まだ、舵は上げたまま。







舵を下ろし、
沖に向かって、舟を押し出したら、
乗り込んで帆綱を引き、
艇を沖に向ける





と思ったんだけど、
向かい風と寄せ波に押し返されて、
また、岸辺に打ち上げられそうに

あれれれ




二度三度繰り返し、
やっと何とか、艇首を沖に向け
風を捕まえる






沖から吹いてくる風を斜め前方より受けて、
どんどん沖に







風を真横から受けると、
帆が風を受けて、
横倒しになりそう






ほら、いつの間にやら、
あんな遠くに







沖合を気分良さそうに
北の方角、垣生の方向に向かって、
進んで行く






今度は、南に向かって、
引き返して来たところ








午後の仕事時間に間に合うようにと、
ネコパコ事務長より、
合図のコールが。
はいはい、それじゃ、帰ります。





帰りは追い風で、あっという間に









着岸、ただいまー。








キチンと片付けて、次ぎに備えなければ。
帰ったら、艇や帆や綱類を水道水で洗わなければならない。
ライネケ院長はharunoから、そう、教わった。
我が子に教わる歳になったのだね。





渚から車のある道までは遠いけれど、
舟を運ばなければならない。
行きはよいよい、帰りはつらい。

でも、面白かった。
気持よかった。


浜辺の緑、白い砂、広々とした海上、色の変る海面の色、大きな空、白い雲、静かな空気。舵から手に伝わって来る潮の流れ。全てが良かった。

じゃあ、またな。



2008年5月25日日曜日

独り暮らしとは その九


うちの大学では四回生になると学生に教官が割り当てられて学生の学業や生活について相談に乗るというアドバイザー教官制度があり、
その担当教官との顔合わせのお泊まり会があったので行ってきた

金曜の授業が終わってそのまま出発して土曜の朝に大学に帰ってくるという強行スケジュールで

場所は桂浜荘という高知の桂浜を見下ろす国民宿舎

で、
教官と楽しく喋ったあとは
当然、学生同士楽しく徹夜するわけで

朝の六時位には

死屍累々


土曜日に学校で解散した後に
みんな眠くて頭がフラフラしてるけども
かねてより計画していたベーグルの会を開催することに・・・
今回、僕はベーグル作るの見てただけですけど


美味しかった

僕は前作った野苺のジャムでムース的な
ナニモノかを作成いたしました
型から抜くときにちょっと溶かしすぎたせいで
やはり今回も
見た目は悪い

Haruno

2008年5月24日土曜日

えええ〜っ! <院長発>

<院長>
今朝、大発見をした。

実は、前回、週ごとに一日受診者数が平均35人以上が、5週間連続すれば、例のだるまさんにまだ入れていない左目を入れることになっているけど、4週目になる先週は駄目かもしれん、と書いた。で、やっぱり駄目だった。

それで、今日は、休診の第4土曜。実は、2年前開院以来、ずっと統計をとって来たので、今朝、暇にまかせて、何となく統計を見ていたんだ。やはり夏は患者が多いね。去年7月から8月にかけてピークがある。今年も7月から8月中旬までが多くなるんだろうね。

うん・・・? ううんんん? あれええ〜っ! 越してるじゃん! 5週間どころか、6週間に渡って。もし、水・土曜日を0.75日としたら、もっと長期間持続してるじゃん。じゃあ、昨年5月に右目、8月には左目で、とっくの昔に両目を入れられたはずだったんだ! 

う〜ん、どうしよう。去年は7月下旬達成したものが、今年はもっと速く達成できるかもしれない。折角ここまで頑張ったんだから、もうしばらく待ってみるか。

とにかく、今朝はちょっとした発見をしてしまったわけだ。諸君、夏休みには乾杯しよう。

2008年5月22日木曜日

徒然雑草   chica


もの言わぬ命は美しい。
道ばたで静かに花開き散っていく様も。
珍しい植物を栽培するのが仕事なので、
職業病なのか、最近はよっぽど珍しい花を見ない限りは驚きません。
でも、足掛け3年にして、ようやく満足のいく出来に
咲いてくれたこの花の美しさには
息をのみました。
メコノプシス ベトニキフォリア
ヒマラヤの山岳地帯に生きる高山植物です。
抜けるようなこの青は
海の底だった昔を思うのでしょうか。
それとも、空に一番近いからでしょうか。

                        chica

2008年5月20日火曜日

ヴァルボラのヒナ鳥 <院長発> ひきつづき、鳥の話

<院長>
骨董っていうか、アンティークっていうのか、そんな店にぶらりと立ち寄って、気になるものがなくなっていないか、目を引くものが新たに加わってないか、さあっと見まわって、店主にちょっと会釈して店を出る。そういう習慣というか、そんなものを持っている人って多いと思うね。

2年前までいた倉敷は、いわゆる美観地区に住んでいて、ほんの近くに沢山、骨董屋があった。休日、倉敷でぶらぶらしている時は、よく散歩のついでに骨董屋に寄った。岡山にもそんな店があった。今日常的に使っているものの中に、その頃の買い物が沢山ある。

時には、店主さんに質問して、いろいろ教えてもらう。場合によっては、ある種の品物については、こちらの方がよく知っている場合もある。素人が何を言ってる、みたいな顔をする店主だと行く気がしなくなる。勿論、すごい人もいると思うし、少々理不尽な物言いでも素直に聞く。そうこうするうちに、店の品物の傾向や、値付けの具合、店主の感じによって、よく寄ったり、寄り付かなくなったりするようになる。

店によって、得意種目みたいなのがあって、和もの専門や洋もの専門、ガラスもの専門、家具専門、食器専門、古布・衣服専門、貴金属・宝石・装飾品専門など、さまざまだ。

値段の付け方にも色々あるようで、あちらこちらと回って、安くて品物がよければ、それを買うのもいいし、多少高くても、店主さんとの人間関係も含めて、高いのを買う場合もあるだろう。

おいらは、値段交渉は苦手だ。いいものだし、是非欲しい、将来どうせ買うのだから、少々の高値買いであろうが関係ない、と思えば、買う。そういう値引き交渉みたいな駆け引きが面白いとか、値引きは当然でいわなきゃ馬鹿だ、という考え方もあるようだが、そのような心理的なやりとりはわずらわしい。まけましょうと言ってくれればありがたいし、言ってくれなければそれまでで、欲しければ買うまでだ。恥ずかしいせいもある。この歳になってやっと、「この品物はいいですね。この値段がついてますが、もう少しまかりませんか。」位は言えるようになった。進歩かな。

松山では、よくいくアンティーク店に、ヴァルボラがある。祝谷の坂道の登り口近くにあって、駐車場もある。中は広くて、よくある骨董屋のような妙なかび臭さもない。店主のMさんはさっぱりした女性だ。何もあてがなくても、よく寄る。当院の外来のエントランスには、ヴァルボラで買った古物のステンドグラスが入っていて、患者さんの目を楽しませているし、待ち合いには、Mさんから買った古い椅子が数脚置いてある。上のは、ヴァルボラの正面。

「ヴァルボラ」Vulvoraっていうのは、Mさん自身の説明によると、

北欧神話でヴァルボラと言う名前の女神。
美のビーナス。芸術のビーナス。
ところがどっこい。
邪悪な魂の人には。魔女になちゃう女神なんです。
私らしいという友人もいましたが
どうなんでしょうかねー???

なんだそうだ。
さて、そのヴァルボラの入り口ドアの左上にかかっている植木鉢に、ちょっとした異変があった。この植木鉢に最近、小型の鳥が盛んに出入りすると思って、Mさんがよく見たら、なんと、それは・・・

でも、とうとうある日のこと・・・


うちのヒナ鳥は、昨日無事に巣立っていきました。

二羽でした。


朝、パーキング辺りに、おぼつかないあしどりの

一羽のヒナを発見。

まわりでしきりに親鳥が飛べっと、うながすように

鳴き騒いでいました。

私の目とひなの目があい、何秒かお互い動けずー・

よかったね。がんばって、しっかり生き抜くんだよと、

声をかけ、後はそーと離れました。

今は主のいなくなった巣あとだけがハンギングにゆれています。

すがすがしいさみしさ、、、、。

でも、今も近くで鳴き声が聞こえてるので、

親子でいろいろ教育中なんでしょう。

グリーンに、長い間、お水もあげないでご苦労様と

たっぷりのお水をあげました。


というわけで、すっかり保護者気分になっていたMさんは、下宿人の「うちのヒナ鳥」の旅立ちを見送って、今多少の虚脱状態にあるようだ。ひょっとして、こんなとき押し掛けたら、少しまけてくれるかもしれん。

2008年5月19日月曜日

独り暮らしとは その八

大荒れ、である
朝から晩まで風吹きまくり雨降りまくりである

雨が降ると大学まで歩いていくことにしているので
雨の日は憂鬱だ

今日なんか大学につくまでにしっぽり濡れてしまった

ちょっと前に台風が日本に接近した時にも大雨が降ったけれど

高知の雨が激しいのか

今回も単に台風の影響なのか

それにしても

このニワトリはどこから来たのか

野良ニワトリは

初めて見た


2008年5月17日土曜日

二周年祝い <院長発>

院長 伏して申さく、
  院長より、当ブログに遊びに見えられた方々に、一言、ご挨拶
 申し上げる。
  当ブログは、松前町という愛媛県の片田舎の町で、二年前、皮
 膚科で開業した当年58歳の医師の偶感である。
  ページの更新は、院長が主にするのだが、時に、その一味のも
 のどもが、勝手にすることも多い。院長はなかなか多産だったの
 である。故に、ページにより感触が統一されていないのはそのせ
 いである。
  どうか、ご覧になった方で、何か感じられた方々が、コメント
 を残されるなら、どうぞためらわないで書き込んでいただきたい。
 歓迎する。家族通信板のように見えるが、そういうわけではない
 からである。
                        2008.05.17




今日は、当院開院丸二年経った日。つまり2周年記念日だね。あっという間に二年経ったわけだ。二年前の今日、3ヶ月のリフォームを終えた当院は、「宮内医院」あらため「宮内ひふ科」として、新たなスタートを切った。

今も患者は少ないが、一年前は本当に少なかった。最初の開院日は、確か、患者さんが16人来てくれた。その後もなかなか患者さんは増えず、一日4人が最低だったかな。さすがに気持ちが、ちょっと沈んだね。2年目もあまり増えたというほどじゃなかったな。とにかく、石の上にも三年と言うけどね。

倉敷の病院を辞める時、医事相談室の人たちが、だるまを下さった。七転び八起きのだるまさんだ。土曜日は第2・4土曜は休診なので、一日の患者さんが月曜日から金曜日まで20人を超えたら、片目を入れようと決めた。水曜日は早じまいなので患者数が少ない。だから、他の日は20人を超えても、水曜日がネックになって、10人台だと駄目なんだよ。開院一周年が迫っても、目標が達成できそうにないな、と思ったけれど、昨年5月14日だっけ、やっと月曜日から金曜日まで通して、一日20人以上を達成できた。それで右目を入れた。右目から入れるものだそうだ。

次ぎの目標は、月・火・木・金曜日を1日、水・土曜日を0.75日として、一週間単位で一稼動日あたり平均35人以上、それが5週間連続したら、もう片目を入れようと決めた。今日でまる2年、明後日から3年目に入ろうというのに、まだ達成できない。実は、先月末から患者が増えたみたいで、3週間連続して、一稼働日35人を超えている。来週と再来週、超えたら、達成だ。どうなることやら。
こういう目標や、医療統計の取り方が意味のあるものかどうか、一度考え直す必要があるだろうが、とにかく最初に決めた目標だ。達成を目指そう。リフォームと開院に要した費用や、私たちの生活費、子供たちの教育費や養育費その他を考えると、まだまだ赤字が続くだろうが、その内、黒字に転じると信じたい。

患者数が余りに少ないと経営が成り立たないけれど、実は、余りに忙しいのは歓迎しない。患者さんの話をよく聞いて、丁寧に見て、充分説明したり、時には、世間話をしたり、冗談を言ったりして、自他ともに益するというあり方が理想だ。58歳のおいらが言うのもなんだが、年寄りから学ぶことも多い。その上で、無駄で非実際的だと思う検査はせず、複雑で非現実的な治療法をとらず、薬の種類や数を減らし、なるべく低コストで患者にとって面倒でない皮膚科医療を目指したい。程々に忙しく、モチベーションを保てるような毎日を過ごしたい。

ありがたい、と思うことは、事務長が、医院経営の上での肩書きとしてだけでなく、本当に事務のかなめを担当してくれていることと、開院前、面接して採用した常勤1人、パート5人のスタッフが、そっくりそのまま、仲良く、それぞれの持ち味を生かして、働き続けていることだ。願わくば、初心を忘れず、常に機嫌良く、腰軽く、手間を惜しまず、優しく、あり続けていただきたい。私も努力したい。

いよいよ、「石の上にも三年」の三年目だ。高コレステロール血症や五十肩や神経痛は心配だが、次ぎなる段階を目指そう。あっという間の二年間だったが、この期間をあと6回繰り返せば、12年経つことになる。その時おいらは70歳だ。その頃どんな状態でいるだろう。仕事を続けているだろうか。なるようになるさ。考えてもしょうがない。やるべきことをやるだけだ。

徒然雑草   chica

shigeと六本木で待ち合わせをして、ブルーマンショウを見てきました。
ブルーマンという3人の青いスキンヘッドのお兄さん達が、
太鼓をドンドコ叩いたり、観客にペンキをぶちまけたりするショウです。
面白かったですよ。
shigeも満足したようです。
たまにはこんなのもいいね!
六本木ヒルズのライトアップアートと最近お洒落っ子なshige。
同じく、作品の前でいつでもちょっと頭のおかしい姉chica。
2という数字に意味はないです。

そうだ、以前アップした異国情緒溢れる町並みは、最近行ってきた
パリの早朝です。



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
嘘です。箱根の星の王子様ミュージアムのセットだよん。
カメラの性能がいいのか、撮った人間の腕がいいのか?
日本のくだらない海外の街をそっくりそのまま再現する
アミューズメント施設もたまには良いものだと感じました。

2008年5月12日月曜日

徒然雑草   chica


結局自分というものは、己の育まれた環境と己に刻み込んだ印象の中で
生きていくものなんだろうなあ。
大好きだった藍染めのお皿も、木の息づかいのしたテーブルも。
私だけのウサギも、遠くで近くで聞こえるレコードも。
全部全部、私の存在に構築されて、こうして私は立っているんだ。

いつかの海辺で貝殻を拾い集めた私も。
あの春の山で花束を束ねた私も。
今こうして、一輪の花をファインダー越しに見つめる私と何にも違わないんだ。

そうして、その後ろにいつも貴方方が居られるのです。

そんなことを、思う日々でした。
夏にはまた、帰ります。

                          chica

2008年5月10日土曜日

院長の夕食 <院長発>

<院長発>
残念ながら、今回は画質が悪くて申し訳ない。古い携帯電話のカメラで撮ったものだから。カメラは事務長と一緒に東京に行ってる。

先週金曜日、兵庫県の事務長の実家に行き、今週月曜日、おいらだけ、松前に帰って来た。事務長は、今週水曜日、東京に行った。そう言うわけで、ホームアローンもすでに7日目だ。さすがに、冷蔵庫の中に事務長が用意して行ってくれたおかずやサラダ用の葉っぱの千切りやら、トマトも種切れになって来た。

その間、大体、朝は、ご飯と目玉焼きにサラダ。昼と夜は、ご飯と魚の南蛮漬け、サラダ。時には、うどんに肉とごぼうを煮付けたものを乗っけたり、卵とネギの炒飯とか。そうそう、餃子も冷凍してくれてる。助かったよ。まあ、とにかく、冷蔵庫の中を適当に探して、温めたり、焼いたり、解凍したり、刻んだり、振りかけたりして、済ましてしまう。おいらは小食だから、備蓄もそれほど要らないんだ。でも、牛乳がなくなったし、おやつのおかきがなくなった。柑橘類など果物もない。まあ、明日午後には事務長が帰ってくるはづだから、我慢しよう。

今晩の夕食の全容。何せ5年前の型の携帯電話のカメラなので画質が悪い。

一品目は、卵炒飯。皿は、砥部焼。もうかれこれ25年くらい前、砥部の梅野に行って、B級品から選んで安く買った「なずな手」。

散蓮華は中国清朝約170年前のもの。20年前、学会で中国に行った時、上海の友誼商店で、10本以上、買った。形が可愛いでしょう? でも、あまり食べやすくはない。磁器の白地にコバルトで青い模様を描いたものだ。画質が悪くて本当に残念だよ。



二品目は、餃子6個。焼き餃子だ。中国では、普通、餃子と言えば、いわゆる水餃子。彼らにとっては、餃子は皮の部分によって麺類に準じるという感覚のようだ。昔、倉敷の病院宿舎にいた時、中国人の夫婦が住んでいて、奥さんに餃子の作り方を実演してもらった。いきなり、小麦粉を練って、皮から作り始め、あっという間に丸く伸ばし、あっという間に蓮根と豚肉主体の具を包んでしまったのには驚いた。小さな女の子がいて、やんちゃんと言った。今頃どうしてるだろう。もう、soraninと同じくらいのはづだよ。

おっと、それに、三品目が一緒になってる。牛肉とキャベツ、人参、ピーマンの肉野菜炒めだよ。

皿は、神戸で買ったあわび皿。高屋で買った。この店は例の阪神大震災でなくなっちゃった。この皿は、丈夫だし、手頃だし、広く使えて、品がいい。いい皿だ。京焼き白磁で今橋善和作だったと思う。

四品目はサラダ。事務長の教育よろしきを得て、院長は必ず、野菜を食べる。

今日のは、キャベツ、人参、ピーマンに、東南アジア風ドレッシング。肉野菜と重複してしまった。

鉢は、古染め付けの芙蓉手。中国は明朝末期。約300年前のもの。写真が悪くて申し訳ないけど、何とも言えず、軽妙で、洒落ている。13、4年前、岡山の表町商店街の岡南画廊で5枚組で買った。こういうのがおいらの好みなんだと自覚した。大切にしている。

またもや、忘れる所だった。これは餃子のたれ。酢とごま油と醤油少々、とんがらしで作るのだね。
器は、松山のヴァルボラで、5年ほど前だっけかな、買った。その頃ヴァルボラは銀天街を、坊ちゃん書房の角を、ちょっとお城側に入ったところにあって、カツレツ亭で昼食を食べたあと、よく寄った。今は祝谷に移って広くなったけど、あの頃は狭かった。
面白い魚の形の小皿。ただし、3枚しかない。ちょっとひょうきんで楽しいでしょう? 何焼きかは知らない。


最後は、必ず、コーヒーを飲む。もう、30年間、コーヒーを飲んできた。今は、ガテマラの生豆を週に二回ほど150から200グラムほどずつ、煎って、ドリップして飲む。中毒というわけではない一種の儀式となっていて、趣味とか凝るとかいうより、一種の癖なんだろうと思う。豆がなければ、インスタントでも構わない。インスタントでもおいしいなあ、と思う時があるよ。凝ってますね、とか言われると困る。

カップとソーサーは、倉敷の郷土玩具館で、展示即売していた福岡の女性の作で、焼き物を粉砕したものを、またろくろで器にして、磁器に焼き上げたものだそうだ。ターコイズグリーンの枠の中を空色で塗った柄で、唐草4脚、牡丹手4脚のセット。使う時は、カップとソーサーをわざと、唐草と牡丹手で組み合わせて使っている。ミルクはパックミルクを使うけど、1個を3杯くらいで使う。砂糖もミルクもいれる。皆、ブラックで飲むのが通だと思ってるのか、苦いのが好きなのか知らないが、カロリーの点から言えば、砂糖よりミルクの方がカロリーが高いはずだし、出されたミルクのパックを全部入れてるけど、あんなにミルクを入れたら、コーヒーじゃなくて、「コーヒー牛乳」になっちゃうぜ。元来、コーヒー豆は果実の種なんだから、甘くて、酸っぱくて、ほろ苦いのが美味しいんだ。そうして、飲んだ最後に、鼻の奥でさわやかな香りがするのが好いんだ。どうして、皆、トチの実エキスみたいな苦いだけのを飲みたがるのか、理解できない。

というわけで、報告終わり。とにかく、院長は元気にやっている。諸君、安心してくれ。

今日は、母の日だったね。chicaさん、お母さんとゆっくり過ごせたかな? お母さんに楽しんでもらえただろうか? お母さんも白髪が随分増えて、もともと円らな瞳っていうタイプじゃなかったけど、上まぶたが随分重くなった。

人間は、際限のない真っ暗な宇宙のどこかで、宮沢賢治の言う青白い電球のように、かぼそく点滅しているような存在だ。そんな頼りないもの同士がお互いに出会って、すれ違って、すぐまた、元の無音の暗黒に戻る。出会って、一緒にいられる時間は本当に一瞬だ。お母さんもお父さんも、貴女たち子供たちと一緒にいられた時間は、すでに過ぎ去りつつある。貴女がお母さんに、上手に甘えられるといいんだが。素直にうまく、撫でたり、撫でられたりするのは意外にむずかしいものだ。

「母の日」の思い出に、今日一日の食事と無事を神さまに感謝して。

                           <院長>

2008年5月9日金曜日

独り暮らしとは その七

家の周りに生えていた野いちごで
ジャムを作った

けっこう野いちごが実っている
今回は中ぐらいのザル一杯分ぐらい採ってみた

ジャムを作るのは初めて

レシピなんかインターネットでチョロっと見たきりで手引きなし

ま、実を洗って鍋に入れて砂糖とレモン汁を加えて煮るだけ
だから、手引きなんかいらん

ついでに小夏が傷み始めていたのでコイツもジャムってしまえ!!

小夏の皮を剥いて、千切りにする
皮だけを10分ほど湯煎して湯きりする

実の方を布に包んで

・・しぼる・・搾る・・・・シボル・・・・んきぃ・・・

と力んでいたら・・・
汁を受けていたボールをひっくり返してしまった・・・・

ショックだ

とぼとぼと大学まで行って自販機で
グレープフルーツ100%のジュースを買ってきた

で、皮とジュースと砂糖とレモン汁を煮る

なんか濁ってるなぁ・・・・

けど、味は結構良い

後で母に聞いた所によると
ジャムを煮るときは”灰汁”を取りながら煮込まないと
濁るんだそうだ
今度ジャムを作るときの課題だ

                                                        Haruno