2011年7月12日火曜日

Production

ういーんばりばり(ボルト①)
ういーんばりばり(ボルト②)
ういーんばりばり(ボルト③)
ういーんばりばり(ボルト④)
ごががが(ボルト⑤ なめた)
がりがり(インパクト逆回転)
ういーんばりばり(ボルト⑤)
すこすこすこすこ(リレー①〜④挿入)
ういーんばりばり
ういーん…
大雑把にいってこんなかんじ。
何のロマンもありませぬ。
あと9ヶ月?
げろ。

2011年7月3日日曜日

ネコパコ事務室だより

遅ればせながら HAPPY BIRTHDAY HARU!!

            生後半月 泣くと首も足先も力が入ること
とにかくよく泣く赤ん坊でした 全身力いっぱいの高周波
産院の先生は「久しぶりに元気な男の子だ!」とおっしゃいましたが
夕方のものすごさ…
ありとあらゆることをして、すっかりこちらの精根尽き果てた頃
コトンと寝入って朝までぐっすり
メリハリはっきり 
男の子ってこんなものなのか…といたく感じ入ったものです
独立独歩 行きたい方に進んでいく
迷子になって親が青くなったことは一度ならず

ものごころがついた頃には いつも手に棒を持っていましたが

             5歳 小舟に見立てて釣り三昧
少し大きくなったら、その棒のイメージがだんだんはっきりして
魚つり大好きに

         5歳の作品  ジェット戦闘機

観察眼と集中力 自分のイメージを形にするのがとても得意でした
どうしたらいいんだろうと考えている時間がとても楽しそうでした
既製の材料より有り合わせが好きだったかも

何故かいつもその場の一番可愛い子をゲットしていてね
              4歳 高知大岐浜にて
年子のSORAの羨望の的
身近な一番のライバルでした

 以上 パート1

2011年6月29日水曜日

ごきげんよう、Gama君  <ライネけ>

 がま君とともに空を飛びたければ、
▲を押してみて。

当家の三番目の子、次男坊として、4分の1世紀にわたる長い長い被保護者時代を過ごしてきたGama君が、ついに、我が家を巣立って行った。
Gama君は、滋賀県大津市瀬田の山の上にあった、某国立医科大学の職員宿舎で生まれた。その前年に長男Haruno君が我が家にやってきたばかりだったので、父親たるライネケにとっては、なんと言ったらいいのか、闖入者という感じがあった。

生後、2週間ほどは、ほとんど手間がかからず、一年間にわたって、Haruno君のすごい高周波の泣き声に辟易してきたライネケは、今度の奴は楽だわいと、最初、思ったもんだ。

ところが、これが大間違いだった。とにかく、ビコビコ、グジグジ、しつこく泣くのだ。夜も昼も、ずっと。よほど体力があると見えて、とにかく、圧力が強い感じで、粘り強く泣くのだね。本当に参った。

その年の夏休み、Gama君を含めて、親子5人で、例のゴルフ・カブリオに乗って、滋賀から西宮、淡路島、鳴門、徳島、室戸を経て、高知に行った。前日まで、ずっとGama君の夜泣きのせいで、眠れなかったので、今夜眠れなかったら、一日中運転する我が身が持たないと思った。車の中でも泣く彼を、何度、窓から捨ててやろうかと思ったことか。それで、高知の手前の何処かの薬局の前で、「夜泣き・癇の虫に、樋屋奇応丸」という宣伝を見かけたので、騙されたと思って、樋屋奇応丸を買った。

そして、その夜は・・・。どういうわけか、泣かなかったんだね。これが。嘘みたいに。奇跡だと思ったよ。でも結局、夜泣きが再開して、その後、長い間、苦しめられた。よほど体力があり、要求が強かったんだろうね。

出来がよかろうが、悪かろうが、子供のことを思わない親はいない。子どもたち一人一人に、思い出は尽きない。あんなこと、こんなこと、あったっけ、という日が、きっと来る。


ゴルフ・カブリオのフューエルリッドのキー孔のカバーが折れてしまった。何とかして継ごうとしたがうまくいかないので、投げていたところ、奥の工房で、彼が、何やらやっていると思ったら・・・。

なんとねえ。ワンオフ物のFRP製カバーを自作してくれた。

うん、いいんじゃない? これだと、カブリオを廃車にしにくくなるね。
思い起こせば、ガソリンランタンのホヤを割ったのも、サングラスの弦を折ったのも、キャンプで皆が楽しみにしていたキムチ鍋をひっくり返したのも、みんな、Gama君だった。可愛い破壊者だった。創る者は壊す者でもあるのだろう。

ロナともお別れだね。今のうちに撫でてやっておいてよ。

人は、それと気づかないうちに旅立つものなのかもしれない。あとになって、実は、あれがお別れの日だったのだな、と思う日が来る。だから、いつもいつも、「今」を思う。


そして、目を閉ざせば、見えてくるのは、この顔だ。

ごきげんよう、Gama君 


2011年6月17日金曜日

徒然雑草  Chica

長野の出張から帰って来たよ。
魚が苦手で、特に煮魚が嫌いなんですが、
(あの特有の生臭さが苦手)
行くたびに、鯉の煮つけが出されて辟易します。
まあ、主な動物性蛋白源が
蚕・ザザ虫・川エビ・川ハゼ・蜂の子の土地であるからして
鯉の輪切りなんてのは、贅沢品であることは
承知の上でなんですが、

やっぱ・・・・きっついわあ・・・・・・。

魚が苦手な理由の一つは、まあ臭いな訳ですが
もう一つの大きな理由は
食べ辛さです。
焼き魚にしろ煮魚にしろ干物にしろ、なんせ難しい。
クイーン・オブ・不器用の私にとっては
人前で魚を食べるのが凄く苦痛なんです。
グチャグチャの皿を見られたくない。

我が家のシーエーティー的毛物、職業:半野猫 ロナウド先生が
「1回、¥カルカン1缶円で手をうつぜ。
だけど、俺の指導は血を見るぜ」って言ってくれたらば
張り切ってやる気を見せた後に即効で辞退するが
(だって血は見たくない。アイツ、本気で噛むんだもの)
どうにか、上手くならないものかなあ。
そんなこんなで、
「新鮮なうちに素早く骨の無い部位のみを短冊状に切り分けて
醤油と山葵で頂く魚」通称:刺身は
新鮮であれば美味しくいただく所存であります。

ところで、西洋料理のテーブルに出てくるあの魚用のナイフ。
使いづらくないかい?
箸でさえ上手くいかんのに
あんなん無理だわ。
あと、フォークの背に米のせて食べるって
意味わからん。
なんで楽しいご飯タイムにわざわざ、
サーカスみたいな真似せにゃならんのか。

とどのつまりは、お箸万歳!

写真は、長野の某所の河川敷より。
花畑で花越しの空ってアングルに妙にはまって
打ち合わせそっちのけで、カメラを構えておりました。

2011年6月7日火曜日

近況報告 2011-06-07 <ライネけ>


今日から、ネコパコは丸亀に行って、留守だ。

東日本大震災と福島原発事故以来、すっかり元気を失っていたライネケも、さすがに、少しずつ元気を取り戻しつつあるようだ。

6月4日(土曜日)、外来終了後、昨年11月を最後に乗っていなかったアクアミューズを出艇した。しばらく乗らないでいたら、すっかり艤装の手順を忘れていた。おまけに3日も経つのにあちこちが痛い。アクアミューズを買ってから、まる4年が経ち、あまり進歩もしなかった代わりに、対して危険な目にも遭わずに済んで来た。
いつまで、こうしていられるのだろう。
明日はどうなるか分からない。

5年前、面接で選んだ6人のスタッフのうち、2月1人、3月末もう1人が退職したので、その二人を補うべく、ネコパコ事務長の大英断で、3人を新規採用した。やめて行かれた人たちの将来に幸あらんことと、私たちのささやかな診療所の着実な成長を祈りたい。

1984年頃?
室戸岬近くの国道55号線沿い。
太平洋の向こうに何がある?
ずっと家族の成長を見守ることになるカブリオと。

当家のゴルフカブリオだが、サイドブレーキ左右ケーブルとリアハッチのダンパー、前後サスペンションダンパーの交換、前左右タイヤの新調を行ない、さらに長生きの第一歩を踏み出した。28歳で20万キロだからね。走れる限りは走らせてやりたい。

そして、なんと言っても、とっておきのニュースなんだが・・・。

4月以来居候している当家のGama君が昨夜、松山の販売会社からの勤務が終わって帰って来て言うことには、

「ええ〜っと、どうやら、販社勤務は、6月一杯で終わりみたい。」
「次の配属先? まだ、分かんない。」

ということで、彼はいよいよ、七月には旅立つみたいだよ。現在、彼は、二階奥の和室を占領して、模型飛行機工房を開いている。高校時代とまるで同じことをやっている。延々と飽きもせず。いつまでも好きなことだけやって生きて行けるといいねえ。祈ってるよ。
スーツが今ひとつ似合わんね。
居ると目障りだが、
いなくなるとなると、名残惜しい気もする。

2011年5月30日月曜日

ネコパコ事務室だより

台風一過
晴れた日の午後
院長が駐車場で何やらゴソゴソやっている
時々「わ〜っ」とか叫び声もきこえる
何をしているのかな?
「エヘへ…                  
ここまでやったのはいいんだけどね…」
自信があるのやら ないのやら

ちゃんと元通りになるのだろうか???
いつもの悪い病気(=いじり壊し病)

途中で飽きてしまわないようにね