2009年7月8日水曜日

水は長しへに西に

人生は、不条理と非合理、誤解と無理解、愚行と滑稽に満ちており、そうした人生に対する幻滅は、人をして病ましめる。うまい物でも食ったら、心が晴れるだろう、なぞと言う人は、余程お手軽にできているに違いない。人生は、世界は、馬鹿馬鹿しくて滑稽だが、なかなか手強いものなのだぞ。

さる日曜日、ライネケ院長は、腰痛、膝痛に加え、更年期障害、それに、追い討ちをかけるように空の巣症候群と初老期鬱病、更にまた、理解のない夫の理不尽さに悩むネコパコ事務長を慰めるため、美味しい物でも食べに行こう、と大洲に出かけた。それにしても、我ながら、随分たくさん病名をつけたものさ。

ライネケの住む松前町から、約50キロほど離れた町。大洲はすでに何度も遊びに行っている。車で1時間少し。町の中心部を肱川が貫いており、臥龍山荘という昔の金持ちの別荘がある。丁度、その辺りで肱川が蛇行しており、川を龍に見立てた趣向だろう。

ライネケはウナギのかば焼が大好きだ。小学校の頃から、近くの川で、百姓のおじいさんのとって来てくれたウナギを食っていた。中国に行った時、田ウナギのぶつ切りの甘辛煮込みみたいなのを食したが、やっぱり、ウナギはかば焼に限る、と思った。それも東京風の蒸したやつでなくて、そのまま、何度もたれにつけて、焼くのがいい。

昔々、中学一年生だった次男Soraninが、倉敷川で、大型のウナギを、引っかけ釣りで釣り上げて来た。近所の魚屋でおろしてもらい、ライネケみずから、よだれを垂らしながら、たれをつけつけ、焼いたのが一番だった。とても大きかったので、一度に食べられず、素焼きにしておいて、何度にも分けて焼いて食べた。大型のウナギは大味だ、とか言うけど、あれは、本当に美味しかったよ。

さて、出かける前に、大洲市在住の知人のM氏に推薦してもらった「なかつか」という川魚料理店に予約の電話を入れておいた。なんでも、川の見えるいい部屋があるそうだとか。あまり期待しないで出かけよう。そうは言っても、楽しみだねえ。

到着。早速、予約した部屋に案内される。
おおおっ。いいじゃないか。

肱川の蛇行部に向かって、部屋が大きく開け放されており、濡れ縁がある。雨戸は格納されて、硝子戸が引いてある。あいにくの曇り空だが、風が強く、涼しくて、いい気分だ。

部屋にこんなウナギの絵が掛かっていた。

風に吹かれて、山や川を見て、待っているうちに、うなぎ定食が運ばれて来た。

うな重、肝吸い、漬け物

ウナギは小振りで、東京みたいに蒸して油を抜いて焼くのでなく、そのままたれ焼きにするやり方のようだ。ご飯はパラパラしていて、美味しい。まあ、こんなものだろうね。昼飯なので、これくらいで丁度いいかという所。

左端に見える突出付近が、臥龍山荘のある辺り。いろいろ、思うことはあるが、しばし、景色を眺め、水の流れ、時の流れに身を任せてみよう。

そおっと寝てみた。
濡れ縁は随分朽ちていて、
それがかえって美しい

西に向かう肱川の流れは緑色。
往く雲、流れ去る水、朽ちて行く縁木。
全ては一方向に
過ぎ去って行くものなのか。


自是人生長恨

水長東

自(おの)ずから 是れ 人生は長(とこし)へに恨み

 水は長へに東(ひがし)す


ネコパコ事務長、少しは気が晴れたかな?

2009年6月17日水曜日

内子にて <ライネケ院長>

6月半ば、内子に行って来た。ネコパコ事務長とChicaさんとHaruno君と一緒だ。
内子は松山から約30kmほど西にある町で、和ロウソクと内子座という演劇場で「村おこし」している。随分整備されて、観光客が沢山来るようになった。



内子に、鍛冶屋さんがいて、一人3000円で、燭台を作らせてくれるのだという。Chikaがやってみたいのだという。何とか教室とか、市民講座とか、あまり好きでない上、何ごとにも腰の重いライネケ院長だが、ネコパコ事務長の「あなたも行くのよ。」の一言で行くことになった。「へええ・・・。」

鍛冶屋さんの作業場はJRの内子駅の近くにあって、おじいさん、御当主、息子さんと三代にわたって鍛冶屋をやっているらしい。住まいと作業場は隣接していて、息子さんが作ったらしい鉄製の花の飾りが上に掛けてあった。

これが、基本になるひな形だね。この、鉄の大型カブトエビみたいなのを、金槌でひっぱたいて、好きな形にするわけだ。って言っても、二階の喫茶室にある、親方の作った既製品で、気に入ったのを持って行って、それを模して作るのだと言う。それにしても、いい子になって、言われることをよく聞いて、指図通りのものを作るなんて、一体どこが面白いんだ? ウフフ。オイラを甘く見るなよ。

うまく行くと3000円の元手以上のものが出来るかもしれない、と思うと、俄然、元気が出て来た。ううむ、何だか、イメージがわいて来た。

下から風を送って、コークスを燃やし、その中で、ひな形を熱する。さすが、コークスだね。あっという間に真っ赤になる。

真っ赤になった所で、やっとこでつかんで、カナトコの上で、ガンガン、キンキン、グワングワンと叩くと、水飴みたいにというわけにはいかないが、思いのほかに変形して行く。
親方が、「ご主人は手慣れてますね。何かやってたんですか?」なぞとお愛想を言ってくれるけど、男の子だったら、これくらいの事は、誰でもするよ。うちの子なら。多分、Chikaを除いて。

燭台だから、蠟燭を突き刺す心棒は先細りにして、針みたいに尖らせるんだが、オイラは、ちょっと幅広に扁平に叩いて仕上げた。言われた通りに見本みたいなものは作らない。わけありなんだ。

真っ赤に灼熱した鉄の太い角棒を、両端をつかんで、グイイイイッと捻ると、
飴のねじりん棒みたいな装飾をいれることができる。ちょっと、力が要る。

出来合いの蝋の受け皿

ろうそくを突き刺す心棒、その下の台座になる輪っか部分と、手で持つ把っ手部分が出来上がると、こんなもんかな、という所で、ろうそくが溶けて垂れてきた蠟を受ける受け皿を付けるのだが、出来合いの直径7cmくらいの鉄の円盤を適当に変形させて、中心に穴を開けて、それを溶接付けするわけだ。

オイラは、やっぱりわけありで、もっと大きな円盤にしたいって、駄々をこねる。親方は、不審げな顔ながらも、直径13cmくらいの円盤を、鉄板から切り抜いてくれた。本当は、直径17cmくらいのが欲しかったんだけど、そこまでは言いそびれてしまった。オイラはいつも遠慮した挙げ句、後悔する。わがままついでなのにね。


切り出した円盤の切り口を整形してくれる親方。その横で、かしこまって、見ているライネケ。目上、指導者、世話人、そういう人には礼を尽くすもんだ。

切り出してもらった鉄の円盤を、凹んだ鉄のカナトコの上で、一生懸命叩くと、受け皿が出来る。親方は、つち目が入った方が面白いと言うが、自分で思ったようにつち目をいれるのは難しいし、筋力も要って、大変だ。

そいつの真ん中に穴を開けて、燭台の心棒で貫いて、溶接して固定する。

出来上がり!

ライネケだけの、蚊取り線香台

把っ手がついて、立ち上がりにネジリが三回入れてあって、大きな受け皿のついた、蚊取り線香台。
どうかな。ちょっと好くない?

やはり、あと2cm半径を大きくしてもらえばよかった。でも、それだけでは、台座部分とのバランスが悪くなるな。台座をもっと大きな「のノ字」にし、もう少し、受け皿を下にし、線香を突き刺す部分も受け皿に近く低くすればよいだろうね。

真っ赤に燃えるコークスと赤熱された鉄に見入るライネケ親子。人は火に惹かれるのだ。

左から、Chica、ライネケ、Harunoの作品。突き刺してあるのは、内子の和ロウソク。Chicaさんの作品には植物を感じるし、ライネケは、日常生活で何に使えるだろうか、と常に実用性を考えてしまう傾向があるようだ。Haruno君のは、何か自分らしいものを表現したいんだけど、今ひとつ満足出来ない所が残ったようだな。人それぞれなのかもしれん。

Chikaは、東京の渋谷で植物関係の職場で働いている。Harunoは大学生5年生で高知にいる。仙台のSoraninと東京のShigeとも夏休みには逢えるかな。たった、2・3日だけど、時には、こうして子ども達と過ごせるのは、幸せと言わねばならない。ほんの数年前まで、一家6人が揃って、食べたり、どこかに行ったり、当たり前だったのに、今は、これから全員揃うなんて、あと何回あるだろう、と考えてしまうようになった。

最後は、ひょっとして、オイラの葬式の時とか。「あの時は、本当に怖かったよ。ライネケ父さんは、静かだったけど、顔を見られなかった。」とか言って、彼らが笑いあう日が来るのだろうか。オイラも棺桶の中で彼らの話を聞いて笑おう。最後に一家6人揃って笑う日。その時は皆集まって欲しい。

2009年6月9日火曜日

北陸地区特派員だより <ライネケ院長>

ついに、本ブログにも特派員ができた。今回の隠密特派員は金沢在住の Professor Mochi-mochi氏です。彼の最近の探索による発見物を紹介します。

MochiMochi氏が金沢市の辺りをほっつき歩いていると、こんなものに出くわしたって。
おやおや、これは、これは。
「ヒデヨシ」ではないか。

こんなところに、「ヒデヨシ」がいたんだね。

喫茶「アタゴオル」っていうらしいな。なかなか好い雰囲気ではないか。扉の前の、「ヒデヨシ」が、湯気の立つ黒いカップをささげている看板もいいねえ。残念ながら閉店しちゃったみたいだね。

昔は喫茶店には、随分、金を使ってしまったけど、今は、自分で豆を炒って、コーヒーをいれるので、まず喫茶店には行かないね。行くとしても、ドトールコーヒーくらいかな。どんな喫茶店に行っても、それほどかわりばえするコーヒーが出てくるわけではないからね。

我家にも漫画はあり、マスムラヒロシのアタゴオル物や宮沢賢治物と、畑中純の「まんだら屋の良太」の大部分が書棚に並んでいる。いずれも30年前後前買ったものだ。他に漫画関係のものは、宮崎駿の作品群くらいかな。

「ヒデヨシ」との出会いは、1978年、京都で医師国家試験の勉強会を開いていたころ、O氏の下宿先で、漫画雑誌「少年」の切り取りの束を見つけた時だね。妙な、太った猫が、破天荒で好き放題に振る舞うんだが。「ますむら ひろし」という若手の漫画家の作品だった。
ヒデヨシは雄なんだと思うけど、妙に女性的な面もあったりして、よく分からんところがある。後足二本立ち直立歩行する。ヨネザード地方のアタゴオルという地域にちゃんと自分の家を持って住んでいるという。多分、ますむら氏の出身地である山形県米沢市の愛宕山にちなんだ、宮沢賢治のイーハトーブみたいな所なんだろう。


彼の代表作「アタゴオルは猫の森」

赤い頭巾のヒデヨシとその友人のテンプラが鮮やかな緑色の葉の上で踊っている。アタゴオルの住人仲間達も見える。

そのころのますむら氏はビートルズのファンだったと見えて、至る所にビートルズの歌詞らしき呪文が出て来る。

マスムラヒロシっていう人もかなりの変わり者らしくって、一度京都に来るっていうので、京都下白川通の某喫茶店だったかなんかの地下のホールに遊びに行った。その時、ネコパコは買ったばかりの「アタゴオルは猫の森」を持って行って、サインしてもらった。1980年3月、「岩崎さんへ」っていうのはネコパコ事務長の旧姓だ。

春の夜の半地下にあったステージ上で、マスムラさんはギターを弾いて、声張り上げて、歌ったんだけど、

「月の光に〜、照らされて〜、見上げりゃ〜、空には〜、銀の星〜。
さあっさ〜、踊ろよ〜、長い髪を〜、振り動かして〜え〜。
さあっさ〜、踊ろお〜っ、夜明っけっまあでえ〜っ。
タラッタ・ラッタ・ラッタ・ラッタ・ラッタア〜!」

というもので、
ナマケモノのヒデヨシそのものだった彼は、当時、
「ああ〜、音楽だけで食って行けたらなあ〜。」
なんぞと言っていたけど、はっきり言って、我々はステージの上でギターを弾いてるナイーブそうな青年の彼を見ながら、これがビートルズをあがめ、音楽で食って行きたいと言うマスムラヒロシの音楽なのか、とあきれたよ。
やっぱり、あんたは、音楽より、漫画かイラストで、食って行きなさい。今なお、メロディー付きで思い出すけど、今思い出しても、おかしい。ありゃなんだったの? ワハハハははああああ〜!!。ごめんよ、マスムラさん。気を悪くしないでください。


























「永遠なる瞳の群れ」に彼の初期の作品が収録されているのだが、彼の作品の随所にビートルズの影響が濃厚に表れている。彼のイラストレータあるいは、デザイナーとしてのセンスの良さがよく分かる。

極めてナイーブな人柄らしくて、マスムラヒロシ・ファンクラブってあったんだけど、その主要メンバーのファンクラブ運営方針が嫌だったらしく、彼自身が降りちゃったので解散してしまった、というような事があった。何となく、分かるよ。その嫌だった状況や彼の気分が。

今の彼は、ヒデヨシが宣伝の登場人物として使われたり、随分メイジャーな存在になって、結構楽しく、豊かに暮らしてるんじゃないかな、と、勝手に想像しているのだが。間違っていたら、マスムラさん、ごめんなさい。ヒデヨシなら、「紅マグロ何匹かくれるんなら、肖像権くらい幾らでも売るぜ。」って言いそうだ。

彼の初期の作品の中には、現代文明批判というか、地球上最悪の生き物としての人類批判、ビートルズ的なもの、ロック的なもの、ヒッピー文化に対する賛同、破れかぶれで野性的なエネルギー、その一方で神経質でナイーブな、時に繊細すぎて脆い、大人文明に不信感を募らせる子どもの心、そういったものに満ちている。

アタゴオルのヒデヨシの家。

こんな家があったら、住んでみたいと思うだろう? 

緑の森や原っぱと降り注ぐ太陽、透き通った月の光、青い色の冷たい風。葉っぱや花びらの一枚一枚、毛の一筋一筋が丁寧に書き込まれた彼の挿絵に、今なお、私たちは、失われつつある何かを見いだそうとしてしまう。










梅雨の雨上がりの午後、再び日の光がさして来たとき、耳を澄ましてごらん。どこか遥か彼方から歌声が聞こえて来ないか?


THE LONG AND WINDING ROAD 
THAT LEADS TO YOUR DOOR
WILL NEVER DISAPPEAR.
I'VE SEEN THAT ROAD BEFORE.
IT ALWAYS LEADS ME HERE.
LEAD ME TO YOUR DOOR.

"The Long and Winding Road"
Lennon and McCartney   1970

りみ つう よお どおおおお〜
いぇ いぇ いぇい いぇい いぇ〜〜

(じ〜ん、きまったな・・・。)


追記:Professor Mochi-mochi、いや、M君。元気にしてますか? 奥さんも元気? あの頃、君も私も若かった。オートバイで一緒に走ったり。あのころを思い出すと胸が苦しくなります。緑、太陽、自由。そして若さ。あのころ、私は、大人っていうのがこの程度のものならば、いつまでも大人にならないでいよう、と思いました。でも、いつしか年が経ち、私たちもかなり年寄りになって来ました。M君がいつまでも青年でいてくださるよう、そして、私がこのまま子どもで在り続けられるよう、祈ります。奥さんによろしく。

2009年5月15日金曜日

「石の上にも三年」 <ライネケ院長>

院長より、当ブログに見えられた方々に、一言、ご挨拶申し上げる。

 当ブログは、松前町という愛媛県の片田舎の町で、ちょうど三年前、皮膚科の診療所を開設した満58歳の医師の偶感である。私たちのささやかな診療所もちょうど満3歳になり、今から、4歳目を歩み出したわけだ。

 ページの更新は、院長が主にするのだが、時に、その家族が、勝手にすることも多い。ページにより、時に、感触が変るのはそのせいでもある。一見、家族通信板のようだが、それだけを意図したものではない。勿論、子ども達に私の何かを伝えておきたい、という気持ちは強いのだが、実は意図も何もないと言えばないのである。

 どうか、ご覧になって、何か感じられたなら、どうぞ遠慮なく、コメント欄に一言残して行っていただきたい。歓迎する。
                        2009.05.17

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  「石の上にも三年」

冷たい石の上でも三年座り続けていれば、暖かくなるから、何事にも辛抱が大切だって云う事なんだそうだ。

開院してまる三年経った。三年間、辛抱という程のこともなかったし、冷たいと思ったこともない。何と云うこともなく、楽しく暮らして来た。開院前、面接で採用した6人の従業員が、6人ともそのまま、変らない雰囲気で勤めてくれている。選択眼に狂いはおおむねなかったということだ。

三年の間に、少しは患者が増えたけど、えらくブレークしたということは全くなくて、今でも、今日はひどく暇だね、という日もある。誰しも、自分が必要とされていないのか、と思うと寂しいものだ。今では大分慣れて、余りしょげなくなった。

開院以来の週単位の一日患者平均数だ。これには、石鹸やしみとりクリームのような保険外自由診療のために受け付けた人の数も含まれるので、実際は少し減るが、最近は、このような自由診療の患者はかえって減っている。

こうして見ると、患者数は1月から4月にかけてが底で、5月下旬から増え始め、8月の盆前後がピークになり、9月から減り始める、というパターンだ。

一日患者数は一年ごとに10人余り増加しているようだ。某皮膚科開業医によれば、開院6年目まで増加し、後は横ばいになって行ったそうなので、4年目の今年は、もっと増える見込みだ。余り患者数が少ないと、元気が出ないし、第一、経営的問題が生じるのだが、増え過ぎて、余りに慌ただしいのは困る。

一日6時間の診察時間で50人も診たら、今日はみっちり仕事した、という気になる。60人なら、今日はえらく忙しかったという感じだ。昔、K中央病院に勤めていたころは、真夏の繁忙期80名くらい、真冬の暇な時期で40名くらい診ていたかしらん。その他に入院患者もいたものね。

時には、午前午後の診察時間中、診察室にずっと居て、患者さんと向かい合う日もある。朝は12時、夕は18時まで受付だけど、それぞれ、30分過ぎ以内で完全に終了して、スタッフが灯火を消して戸閉まりして帰る。

レセプトといって、各月の締めくくりには支払い基金への書類をまとめて、提出するんだが、その作業も事務方の超過勤務になったことはない。よそでは、前々日くらいから、事務方が夜遅くまで残業し、院長までカルテの整理をするとか聞くけど。まだ、患者数が少ないせいもあろうが、最初からレセプトコンピュータ一体型の電子カルテにしたのがよかったのだと思う。いろいろ意見はあるが、電子カルテは時代の趨勢だと私は思うね。

さようなら、看板くん。3年間ご苦労であった。

伊予鉄の松前駅のホームの看板と医院近くの道案内看板を除いて、国道56号沿いの野立て看板や隣の駅の看板を撤去することにした。看板代って馬鹿にならないんだ。設置する時だけでなく、撤去するにも金が要るんだって。医者仲間に訊くと、看板には、余り集客効果はないんで、あれは犬の小便みたいなものだ、っていうのだ。みんな、えらそうにそう言ってる割には、沢山立ち並んでいる。林立している。ほとんど環境破壊的だ。その仲間入りはごめんだ。だから、もうやめだ。


患者数が、少しずつ増えて来た、と書いたけれど、今日はえらく暇だよ。朝一番の外来待合室に誰も待っていない。こんな時は、さびしくないかって? 

ただの土くれの如く、価値のない、無意味な存在で居ようと思うのだ。そういう在り方っていうか、生き方がいいと思うのだ。能無しのデクノボウ。そういう心境に憧れる。自分の存在に意味がなくても、この「世界」という仮想的な空間の中で、ゆるがず、静かに、孤立して、生きて、消滅して行く。そういう存在に。

「塊然獨立」の図
う〜む、どうも、足もとが不安だ。

「塊然獨坐」
我家の母屋の座敷に昔からある大字の横額
右から左に読むのだよ。

なかなか、そういう境地に達しない。常に自分の特殊性を、自分の意味を、価値を見つけたいと思ってしまう。こういうのを迷いというのだろうね。


とか思っていたら・・・。おや、おや、電話の子機が鳴っている。下の診察室からお呼びだ。患者が来たらしい。

「はい、はい。分かりました。今、行きます。」

では、仕事に行って来ます。

2009年5月11日月曜日

徒然雑草   chica



皆さんお元気ですか?chicaです。
ばたばたしてる間にもう早5月!

ここで一句

花粉症 どうせ過ぎても 五月病


どーん。。。。。。。。。。


気を取り直しまして、先月、仕事の為にタケノコを掘りました。

農業の危機が騒がれる昨今、地産地消ってやっぱり大事よねってなことで

江戸野菜を最近調べていたのですが、

さて、私がいる区には野菜が残っていないか?

博物館やら資料館やら問い合わせしたり

築地市場の方に協力してもらったりした結果、

千駄ヶ谷という地域のタケノコが区の野菜としては有力ではないかということになりまして

あの手、この手、猫の手、孫の手、裏の手を駆使しまして

とある神社の境内からタケノコを入手したのです。

入手したにはいいが、展示は11月の予定。

写真やら記録やらの為に灰汁抜き、調理、撮影、試食となりました。

まあ、みなさん御存知の通り、私、ちっとも家庭的ではないもんで。
。。。。。苦労したyo!!!
お品書きでございます。
1の重:タケノコご飯
2の重:右上から時計回りに


タケノコと鶏そぼろの山椒味噌和え


タケノコ焼き 醤油味山葵添え


タケノコとカブと鶏肉の炊き合わせ


タケノコとミズナのお浸し

以上でございます。
作成時間1時間半。経費その他は持ち出し。
これで企画が流れたら、呪ってやる!!!!!

                      chica

2009年5月7日木曜日

ronaの話 <ライネケ院長>

ロナは一見、目つきが悪くて、悪猫みたいだけど、草花の影を歩き回るのが好きな心優しい子なんだ。と、親は勝手にそう思ってるんだけど・・・。
孤独そうなロナなんだが、最近は、どうやら、ライバルと言ったらいいのか、時々訪問者がやってくるようになった。ロナと対照的なクロネコなんだが。うちではクロタってよんでる。

過日、にらみ合いしているロナとクロタ

昨夜は、大騒動だった。

ネコパコ事務長とインフルエンザ騒ぎでまた帰って来ているShigeと、わざわざ、桜三里を越えて、本谷温泉に入りに行った。そして夜遅く帰って来たら・・・。

玄関ドアを開けて、二階に上がって行くと、奥から出て来たのはロナではなくて、なんと、例のクロタではないか。

慌てて、追い出そうとしたら、出口が閉まっていて、再び家の中へ。とうとう、図書室に侵入し、Shigeがしめ込んだものでさあ、彼は大パニックになり、とうとう、おしっこを漏らしちゃった。

とにかく、追い出そうというので、老ライネケの愛用していたステッキを振り上げて、追い回しているうちに、キッチン台の向こうに逃げ込んで、つついても、叩いても、動かなくなってしまった。苦労して、窓を開けてやり、網戸を外してやりして、やっと御退散願った。

後に残されたのは、おしっこと悪臭、それに疲労。折角、温泉につかって気持よくなって帰って来たのに・・・。

ロナはというと、さっきのドタバタ騒ぎの間は見かけなかったのに、いつの間にやら現れて、しょぼんという感じで、おとなしくかしこまっている。。
何となく、自分にも責任の一端がある、と自覚しているらしい。
夜中も寝室で、私達の枕元の椅子の上でおとなしく寝ていた






そもそも、二人の争いは、かなり以前から、徐々に緊迫度を増していたようだ。
ある日、彼が尾っぽをたわしみたいに膨らませて帰って来た。









うちを背にして、必死で凶悪そうなクロタと対峙するロナの姿。

「こ、ここは僕んちのうちで、僕んちの敷地なんだぞ。ぼ、僕だって怒ると怖いんだぞ。」
「けっ、ああに言ってやがんでえ。白っぽくお上品にしてやがって。誰が、おめえの領土なんて決めたってんだ。お天道様の照らすところ、誰だって、好きに入って行くんでえ。おお、今日という今日は、はっきり、黒白つけようじゃねえか。」

二人の争いは、どうやら、野良の強さによるのか、お育ちによるのか、クロタの方に分があるようで、ロナはいつも逃げ腰気味なのだ。親としては、子どもの喧嘩に出て行くのは、まずいとは思うが、やっぱりね。介入してしまう。

さて、今回は、一体どこから、クロタは侵入して来たのか? 屋上の芝刈り機をドアの内側に収容していたのに、階段の踊り場まで、芝刈り機が転げ落ちていた。屋上の出口の扉の前に、黒い毛の塊が二個、落ちていた。

どうやら、ロナは、彼を追って、屋上のロナ専用の潜り戸から入って来たクロタの侵入を阻もうとしたのだろう。彼なりに必死で闘ったのかもしれん。

侵入したのはいいが、家人に見つかって、逃げ場を失ったクロタは、パニックに陥って、尿を漏らし、とうとう、追いつめられて、隅っこでちぢこまるしかなかったのだな。半野良ながら、彼も「おうち」が欲しかったのだろうか。それを思うと可哀想だ。

追いつめて、叩いたりするんじゃなかった。ごめんよ、クロタ。
でも、うちの子はロナだけで充分なんだ。あまりうちに寄り付くんじゃないよ。

2009年4月21日火曜日

千里 嬋娟を共にせむことを  <ライネケ院長>

かえりみれば、このブログを始めたのが、去年の3月なので、早一年がたってしまった。その間に書いたブログが95回くらいにもなった。よく続いたものだと思うが、どうかな。

そんな春の夕暮れ時、二階の中空中庭で、事務長と二人、ささやかな宴を持った。

 
<▶をクリックせよ。>            

事務長さん、ご苦労様。院長どんも、お疲れさん。

去年の今頃、屋上の芝生に生えて来た雑草の花を大騒ぎして刈り取ったのに、今年また、その雑草が伸びて来て、薄紫色の花をつけ始めた。やはり、巡りくるものは春なのだな。


一時暑い日が続いたのに、昨日今日と、また寒くなり、あわてて重ね着した。気候が変りやすいのも今の季節の特徴だ。寒くなったり、暖かくなったり、本当に初夏の声を聞くまでには紆余曲折がある。

一昨日、昨日とHarunoの顔を見に、高知に行って来た。なんだか、勉強で疲れていたようだったので、ちょっと心配になった。
遠くにいる若い人達、この季節、体に気をつけなさい。

   人有悲歓離合   人に悲歓離合有り
   月有陰晴陽欠   月に陰晴陽欠有り
   此事古難全    此の事 古しへより全くすること難し
   但願人長久    但だ 願はくば 人 長久にして
   千里共嬋娟    千里 嬋娟を共にせむことを

      「水調歌頭」 蘇軾(1036-1101) 
        嬋娟(せんけん):あでやかで美しい事、月の雅称

   悲しいことがあれば、うれしいことがあり、
   別離があれば、出会いがある。
   月が見える時もあれば、見えない時もあり、
   そして、月に満ち欠けがあるように、
   人生にもさまざまの時があって、
   なにごとも思い通りというわけには行かぬ。
   ただ、皆が元気でいてくれて、
   おたがい遠く離れていても、この月を
   どこかで一緒に見ていてくれたらいいのだが、
   と願うばかりだ。