2019年4月15日月曜日

また一年が経った

去年の今頃、伊予ばあちゃんが、ベッドから滑り落ちて、起き上がれなくなるという事件が起きて、一年が過ぎた。
あれから、彼女も、我々も、一歳、年とったわけだ。

去年は、いろいろな事件があって、彼女にとっても我々にとっても、記憶に残る出来事が多かった。

Chicaさんの、松山空襲について伊予ばあちゃんの話の聞き語り記録が、暮しの手帖の特集に採用されたことに端を発して、2回もNHKから取材に愛媛までやって来てくれ、NHKのクローズアップ現代に伊予ばあちゃんが登場し、ついにテレビデビューを果たした。さらに、愛媛新聞社も伊予ばあちゃんを取材にやって来て、伊予ばあちゃんはすっかり時の人になった。怖いな。
某日、彼女は歯医者さんに行きたいと言い出した。
このスロープを作っておいてよかった。
ネコパコに手を引いてもらって、
そろそろ降りて、車に向かう。
ネコパコの心遣いのおかげで、ちょっとお洒落なうしろ姿

夏は、松前町の役場裏の公園に、世界を回ってるサーカス団が、大きな大きなテントを張って、2ヶ月の長きにわたって、公演した。我が医院にも、サーカス団の外人さん(チリ人の男性とスロバキア人の女性)が二人も、皮膚の問題で受診しにやって来て、サービスの切符を何枚もくれたので、医院のスタッフや家族が、揃って、演技を見に行った。いい思い出になった。

年末には、アメリカからやって来て、エミフルでサンタクロースとして出演するはずだったアメリカ人のお爺さんが、足にひどい感染症を起こして、当院を受診して、ライネケ院長は、日米親善のために、自ら点滴の針を持って、頑張った。

とにかく、一年間、いろいろあった。

義農公園にて
七分咲きの花の前
春の光を浴びて

今年は、伊予ばあちゃんと一緒に、ライネケとネコパコと3人で、我が町の義農公園の桜を見に行った。去年は隣町の端っこの運動公園まで、車で行ったが、今回は、車椅子を押して、歩いて行った。

彼女とともに、あと何回、桜を見られるのだろう。

ライネケにとって、彼女は武家の女とでもいうか、とにかく気丈な人であった。目的のためには手段を選ばず、歯を食いしばって、艱難に耐え、塵も積もれば山となる式の努力を惜しまない、というふうに見えた。ライネケは、あの性質が自分に伝わっていないのを、何度、恨めしく思ったことか。

94才になり、足腰も気力もずいぶん衰えた。しかし、まだ、侮れない部分がある。

46年前、ライネケが二度目の受験に失敗し、東京の4畳半の下宿でしょんぼり途方にくれている時、ぱっと上京してきて、「元気をお出し。また、受ければいいじゃないの。来年受験に行くかもしれない所に行ってみようじゃないか。」と言って、文字通り、引っ張り上げるように立ち上がらせて、いやいやながらの息子を引きずるように、まだ上野発だった東北本線の列車に押しこむように乗らせて、仙台まで引っ張って行き、東北大学、松島、瑞巌寺を回って、その日のうちに、また東京に戻り、「お頑張りよ。」と言い残して、愛媛に帰って行った。

あの辛かったときの思い出が、今となっては懐かしい。
翌年、なんとかなってよかった。我ながら、冷や汗ものだった。
あの時の彼女の心中を思うと、胸が痛む。
ごめんよ。お母さん。
あらためて、ありがとう。

お母さん、
カメラは、あっちだよ。
カメラの方を向いてください。