大概は一人で自分自身と向き合う時間が必要だけれど今回は違う。
父と母と過ごす時間が必要なのだ。
そんなふうにりゆうをつけておねいちゃんは、
またなにからにげてきたの?
またなにからにげてきたの?
全部だよ。
いつも目の前の全部から逃げられないって
気付いてから逃げようとするんだ。
いつも目の前の全部から逃げられないって
気付いてから逃げようとするんだ。
適当に詰め込んだ荷物を引きずって飛行機に飛び乗り、
東京が最初だった桜の開花宣言からフィルムを巻き戻すような季節を横切って
いつもの我が家に帰った。
サクラも若葉もシャクナゲもツツジも皆満開で、大合唱を聞いている気分になる。
石鎚山の谷筋に雪が残っているのが我が家の屋上からも見えた。
自転車に乗って周囲をフラフラしていると麦畑の麦がすくすくと実っている。
先月に訪れた時は石鎚山は頭全部が白くて、麦の穂はまだ若かった。
時間は止まらない。
仕事あがりの父に無理を通して育った街へと出かける。
石鎚山の谷筋に雪が残っているのが我が家の屋上からも見えた。
自転車に乗って周囲をフラフラしていると麦畑の麦がすくすくと実っている。
先月に訪れた時は石鎚山は頭全部が白くて、麦の穂はまだ若かった。
時間は止まらない。
仕事あがりの父に無理を通して育った街へと出かける。
観光地に住んでいたら「あるある」なのは、
有名なホテルでも宿でもお世話になる機会がないことだよね。
いつか泊まってみるのも面白いと思っていたアイビースクエアに部屋をとり宿泊。
夜の倉敷。誰も歩いていない裏通りを一人で歩きながら
ここで過ごした時間を思い出した。
春を通り過ぎて初夏の気配すら漂う鶴形山を朝食片手に親子三人であがり、
それぞれに思う事ありつつ、阿智神社にお詣り。
鳥居の上へ石を載せる遊びをしながら、夕方の時間を過ごしたのが懐かしい甍の街並み。
記憶はオルゴールの音のようにハイライトばかり繰り返すけれど、
生きていくのは、単調なリズムを刻むことの延長だったんだと、
歩き慣れた道を通り過ぎながら思った。
松山に帰る途中に鞆の浦へ立ち寄った。
穏やかな漁港の風景を好ましく感じるのは遺伝なのかもしれないね。
大急ぎで巻き戻したフィルムは、
あっという間にエンドロールが流れ始めた。
あっという間にエンドロールが流れ始めた。
フィルムが無くなる訳でなし、ゼンマイが切れる訳で無し、
何をそんなに不安に思う事も哀しむ事もあるまいと、他人は笑うのだろうけれど
美しいものは全て哀しくて、愛おしいものは全て儚く感じるから
いつだって笑った後には泣きたくなる性分で仕方ないのだ。
だけど、いつか思い出すのは、どこのサクラの木のことではなく
車の後部座席から身を乗り出して、父と母の間に頭を突き出し
フロントガラス越しに見つめた
四国の山々が色とりどりの緑と桃色の点描だった事と
時間は巻き戻せない。ただ通り過ぎていくだけなんだね。
共に過ごしてくれる人に感謝するしかないんだと今更ながら気付いたのに
また素直に口に出来ないままになってしまった。
笑って許してくれる人のもとへ、また何食わぬ顔で押しかけたら
皆でリフレイン。