2017年3月29日水曜日

証し <ライネケ>

某嬢が永遠の証しにと指輪をもらったのだという。

永遠の誓いか。
昔々のこと、ライネケに極めて近しい人の離婚話が持ち上がったころのことだ。ライネケの父親と車に乗っていて、出会いの大橋に近づいた時、その話が車中で出た。老ライネケが運転していた若いライネけに向かって、伊予言葉で言ったもんだよ。
「あれらが添い遂げるようなことがあったら、それこそ、美談じゃわい。」
だって。

どうやら、カルチエの店で買ったもののようだね。
ダイアモンドは、その硬さ故に永続性の象徴だ。
どうか、指輪をもらった某嬢と指輪の贈り主が、永遠に添い遂げられますように、と心から願うよ。

昔は、親が似合いの相手を探し回って、釣書を見て、場合によっては興信所に依頼して調べてもらって、見合いして、やっと結婚にこぎつけるという具合だったらしい。要するに「割れ鍋にも綴じ蓋」を探したわけだ。それで、男性側が婚約指輪を渡し、結婚したら、お互い結婚指輪を取り交わすという運びになるらしい。

「らしい」というのは、おいら達ライネケとネコパコの間には、そんなやり取りはなかったからだ。

二人の男女がたまたま、何かのはずみでどこかで出会い、たまたま二人で共に生きて行くのがいいのだ。おいらにとっては、結婚とは「成り行き」の神様の前で成された一種の契約であって、いろいろな思惑、都合、条件を超えた偶然のめぐり合わせによって生じる純粋なものでありたいと思ったからだ。ある意味では、偶然性が高いほど純粋なのかもしれんって。自分は優れた人間だから、相手もそれにふさわしい優れた女性でなければならない、などと考えるのは、神がお許しにならない傲慢というべきだろう。

若かったライネケには、世間の誰もがするような贈り物をするという観念がなかった。金がなかったわけではないが、貧乏性だったしね。初めて、ネコパコと出会った頃は、たまたま何かのはずみで眼鏡のレンズを割ってしまってて、それを接着剤でくっつけて掛けていた位だ。女子大を卒業したばかりの若い女性の目には、よほど変な男に見えたことだろう。

まだ20代なかばのライネケとネコパコは、夕暮れ迫る京都の四条あたりに、いつものように自転車で出かけて、ふととある宝飾品の店のショーウィンドウに、ささやかなペンダントトップを見かけた。
緑色のガラスを透かして
銀がきらめく。
七宝細工の小品だった。半月型の銀板の両面に、緑色のガラスを盛り上がるように載せてある。2000円もしなかったと思う。単純だけど、表も裏も同じ細工で、買得だと思った。
女性と無縁だったライネケの生まれて初めての女性へのプレゼントだった。ちょっと照れるね。

下に敷いてあるのは
シラカシ次郎の葉っぱ

これも、少し遅れて、やっぱり京都の四条あたりで買ったものだ。いわゆるマベパールにゴールドの縁をつけたものだが、涙滴型できれいだ。これも割合安価なものだ。

大学を卒業したばかりの若かったネコパコは、いつも黒いぴっちりセーターを着ていて、その胸にこのペンダントがぶら下がっているのを見ると、ライネケの心はおどった。ふたりとも、若く、つましかった。当時は、若さと貧しさは時代の一種の風潮で、たとえ裕福な出自であっても、服装に意を凝らす気配を避け、男子は戦前のバンカラの風があった。

今こうして見ると、たとえ高価でなくとも、ライネケの選択眼は悪くないと思えるし、不思議なことだが、貧しさは美しさと通じるものなのかもしれない。

ところで、最初の某嬢のもらった指輪は、なんとサイズが小さくて、本当は薬指に付けるリングが小指にかろうじて入ったのだと言って、笑いながら指を振って見せてくれた。

人生は現実に合わせていくものだ。
最初は小さく末は大きく育ちますように、祈ってやまない。



2017年3月18日土曜日

3月5日  <ライネケ>

春になった。
Chicaが植えてくれた草に白い花が咲いた。
横にはチューリップの葉が伸びてきている。
しばらく前までは、白いものを見るたびに、ロナのことを思った。
屋上にも
小さな白い花が
3月5日はロナの命日だ。
といって、別に何をするわけでもない。きちんと揃えた前足に長い尾を巻きつけるようにして、三角形の目で、傲然と端座している彼の姿を思い起こすだけだ。

彼は、いわゆる内飼いではなく、外出自由だったから、気が向いた時に、当然のように、我々に玄関のドアを開けさせ、我々がいなくても、屋上の扉に付いていたくぐり戸を抜けて、屋上に出ることが出来た。彼がまだ手のひらサイズで目も開かず、自力でミルクも飲めなかった時から育てたというのに、私たちは彼の親というより、ドアマンであったり、給仕係みたいだった。

設置して12年目になる。
風にあおられて、何度も外れて飛んだ。
そのたびに、接着剤で補修して、まだ、使っている。
未練がましいようだが、彼に関連するものだと思うと、捨てきれない。今はゴロが屋上に出るのに使っている。

屋上西南側から、
お隣さんの屋根瓦が見下ろせる。
ふと窓から外を見下ろすと、草花の間を身を低くして歩いている彼の姿が見えることがあった。
結構な段差なんだが、
ロナは、一躍、身を翻して、
外の世界に出て行った。
ロナは、自由と気ままの象徴のように思えた。

ロナの後任のゴロは、動物愛護センターとの約束で、内飼いされることになった。彼も屋上によく出るのだが、幸いというべきか、この段差を飛び降りて、外界に出ていくという様子はない。それでも、屋上で、春の日差しと土と草に触れられるゴロは、世間並みの完全内飼いの「ネコちゃん」よりは、幸せなんじゃないかと思う。


ロナが去って5年たった今もしばしば考えてしまう。彼は私にとって、一体、何だったんだろうか。「自然」の一部だったのか? 「神」の伝言者だったのか? 彼が、私たちと共に、人生の十年余りを過ごしてくれたことで、何かが示されたような気がする。


屋上の射場の安土の斜面に、ロナが駆け上がった跡がまだ残っている。
爪の形が分かる。
深く残った彼の足跡に、今も爪の形を認めることが出来る。安土に水をやるたびに、この足跡に水を掛けるのをためらう。もう数年経つと、この足跡も消えてしまうのだろうか。

足跡というのは、土側に残った土の表面のことなのか、土の凹凸に入った空気側なのか、あるいは、その境界のことなのか? 土が崩れ落ちて凸凹がなくなれば、足跡は消滅するものなのか。それとも、それを見て、何かを思った人の心の中に残る何かのことなのか?記憶というものも一種の「もの」なのか? いや、これを見て、あれこれと想いめぐらすということそのものも、足跡そのものなのかもしれない。

今の私には、木の床に残った彼の爪あとも、安土に刻まれた彼の足あとも、単なる彼のあとかた、あるいは記憶であるというより、彼そのものと思える。「ロナ」というものに起因するすべてのもの、今は聞くことのない彼の鳴き声や見ることのできない彼の眼の色、彼の身ごなしを思い起こし、次々にさまざまの思いが連鎖して生じる。そうした「もの」だけでなく、形のない「反応」「情感」も含めて、すべてが「ロナ」であり、「私」であり、「世界」そのものなのかもしれない。


夕暮れ時の西の空の色が移り変わり、煙が消えていき、やがて濃い青の空に月が出る。

ある集まりの挨拶で、「当家の屋上から西の海の夕暮れの空を見ていると、本当に美しくて、人生の美しさ、はかなさを感じます。」と大真面目で言ったら、会場のあちこちから笑いが起こったのには驚いた。大げさに聞こえたのかな? 「美しい」という言葉を無邪気に口にした私は、少し傷ついたよ。一度、見てみるといい。

こんなに美しいのに。
明日は見られなくなるかもしれないのに。



 人生如夢    人生は夢のごとし
 一樽還酹江月  一樽また江月に酹(そそ)がん