某嬢が永遠の証しにと指輪をもらったのだという。
永遠の誓いか。
昔々のこと、ライネケに極めて近しい人の離婚話が持ち上がったころのことだ。ライネケの父親と車に乗っていて、出会いの大橋に近づいた時、その話が車中で出た。老ライネケが運転していた若いライネけに向かって、伊予言葉で言ったもんだよ。
「あれらが添い遂げるようなことがあったら、それこそ、美談じゃわい。」
だって。
昔々のこと、ライネケに極めて近しい人の離婚話が持ち上がったころのことだ。ライネケの父親と車に乗っていて、出会いの大橋に近づいた時、その話が車中で出た。老ライネケが運転していた若いライネけに向かって、伊予言葉で言ったもんだよ。
「あれらが添い遂げるようなことがあったら、それこそ、美談じゃわい。」
だって。
どうやら、カルチエの店で買ったもののようだね。 ダイアモンドは、その硬さ故に永続性の象徴だ。 |
どうか、指輪をもらった某嬢と指輪の贈り主が、永遠に添い遂げられますように、と心から願うよ。
昔は、親が似合いの相手を探し回って、釣書を見て、場合によっては興信所に依頼して調べてもらって、見合いして、やっと結婚にこぎつけるという具合だったらしい。要するに「割れ鍋にも綴じ蓋」を探したわけだ。それで、男性側が婚約指輪を渡し、結婚したら、お互い結婚指輪を取り交わすという運びになるらしい。
「らしい」というのは、おいら達ライネケとネコパコの間には、そんなやり取りはなかったからだ。
二人の男女がたまたま、何かのはずみでどこかで出会い、たまたま二人で共に生きて行くのがいいのだ。おいらにとっては、結婚とは「成り行き」の神様の前で成された一種の契約であって、いろいろな思惑、都合、条件を超えた偶然のめぐり合わせによって生じる純粋なものでありたいと思ったからだ。ある意味では、偶然性が高いほど純粋なのかもしれんって。自分は優れた人間だから、相手もそれにふさわしい優れた女性でなければならない、などと考えるのは、神がお許しにならない傲慢というべきだろう。
若かったライネケには、世間の誰もがするような贈り物をするという観念がなかった。金がなかったわけではないが、貧乏性だったしね。初めて、ネコパコと出会った頃は、たまたま何かのはずみで眼鏡のレンズを割ってしまってて、それを接着剤でくっつけて掛けていた位だ。女子大を卒業したばかりの若い女性の目には、よほど変な男に見えたことだろう。
まだ20代なかばのライネケとネコパコは、夕暮れ迫る京都の四条あたりに、いつものように自転車で出かけて、ふととある宝飾品の店のショーウィンドウに、ささやかなペンダントトップを見かけた。
緑色のガラスを透かして 銀がきらめく。 |
七宝細工の小品だった。半月型の銀板の両面に、緑色のガラスを盛り上がるように載せてある。2000円もしなかったと思う。単純だけど、表も裏も同じ細工で、買得だと思った。
女性と無縁だったライネケの生まれて初めての女性へのプレゼントだった。ちょっと照れるね。
下に敷いてあるのは シラカシ次郎の葉っぱ |
これも、少し遅れて、やっぱり京都の四条あたりで買ったものだ。いわゆるマベパールにゴールドの縁をつけたものだが、涙滴型できれいだ。これも割合安価なものだ。
大学を卒業したばかりの若かったネコパコは、いつも黒いぴっちりセーターを着ていて、その胸にこのペンダントがぶら下がっているのを見ると、ライネケの心はおどった。ふたりとも、若く、つましかった。当時は、若さと貧しさは時代の一種の風潮で、たとえ裕福な出自であっても、服装に意を凝らす気配を避け、男子は戦前のバンカラの風があった。
今こうして見ると、たとえ高価でなくとも、ライネケの選択眼は悪くないと思えるし、不思議なことだが、貧しさは美しさと通じるものなのかもしれない。
ところで、最初の某嬢のもらった指輪は、なんとサイズが小さくて、本当は薬指に付けるリングが小指にかろうじて入ったのだと言って、笑いながら指を振って見せてくれた。
人生は現実に合わせていくものだ。
最初は小さく末は大きく育ちますように、祈ってやまない。