2014年10月19日日曜日

ライネケが海でミニ冒険をしていた頃、私は東京にいた
3歳の幼児から大学生までが学ぶJ学園の体操会は
競技ではなく協力して行なう団体演技が中心の、まさしく「体操会」
今年度の見学者は3000人に少し足りなかったようだけれど秋空のもと
見学者一同も気持ちのよい時間を過ごすことができた
毎年プログラムに大きな変化はないが、アレンジに工夫があり
取り組んでいる「心情」が随所に表れていると感じる
それがまた安心であったり成長の確認であったりするので
29年間の関わりの中で、私自身もこの芝生色に染まったのだろうか
入場式 旗手は中等科高等科を通じ完全出席のO君22歳

4歳組おしたく競争 かつての我が子達の姿が重なる
その後 息子の住まいに一泊した
実は彼が夏休み中帰省しなかったので少し案じていた
過度に干渉したいとは思っていないが、母親は常に心配するバカ者と相場通り

彼は2K風呂付き一軒屋32000円の住人
ここ数年廃屋物置的になっていた昭和40年以前の建物
「何をしてもかまわない」という
大家さんとの約束のもと住みはじめて一年半が経った
駅から徒歩3分 ここも東京都内ではありますが…池袋まで35分?
昨年6月に初めて訪れて、懐かしすぎる昭和中期の匂いプンプンに
少々辟易しながら一夜を過ごしました
最近田舎でもこれはないでしょ
さ〜ていつまで持つかしら…と内心面白がっていた
何をしてもかまわない?!

び〜っくり!! 天井がないじゃん
天井裏?利用のロフトができていたり

 そこに昇る階段もちゃんと設置されていたり
 ボロッチかった畳が取り払われ
厚さ3cmの足場板敷きの床 
ふすまも無くなり 間仕切り兼用書棚も国産材木使用のロハスな空間
う〜む ほ、ほ、
言葉がつづかないわ
なかなか ある種 よろしいね
それにしても随分夏向きのお住まいですね
たまにはお家にも帰って来なさいね
ちゃんとご飯を食べなさいね

さすがに迫りくる台風19号をここで迎え撃つ元気は出なかった

都内に住む娘の住まいにだんだん強まる風雨の中ころがりこんだ
彼女の住まいは四階 凄まじいビル風の音に一晩悩まされたが
とにかくぶっ飛ぶおそれはないし…

 台風一過 翌日は自由が丘たらいうこじゃれた街をふたりで歩いた
あおい美しい空が続いていた
どこまでが現実でどこからが夢遊なのか順不同

たしか息子と「聖者の食卓」という映画もみたような
小江戸川越の街歩きもあったような
不思議の国のアリスよろしく台風の強い風が吹き抜ける街角を
目くらましにあったようにトリップしていた
3人で東京で鮨もたべたような(あれもグルグルまわっていたな)

そしていよいよ さようなら
成田では時間がたっぷりあったのでピアノコンサートを楽しんだ

帰宅したら人参が随分大きく育っていた
まだ根は細い いつ採ろうかな 葉っぱ食べようかな

2014年10月15日水曜日

七九 六十三、八八 六十四 <写真はないが、ライネケの冒険>

昨日、台風19号が去り、今朝早いうちは雲の多かった空が、明るくなって来て、昼前には、すっかり青空になった。今日10月15日は、松前町のお祭りの日で、休診日だ。ネコパコは、先週金曜日から東京に行ってて、今夜、帰って来る筈だ。

朝、いい風が吹いているので、海に出ることにした。
朝食を済ませ、舟を230TEの上に積み、塩屋の浜に行く。
波打ち際で、艤装をしていると、北北西の風が結構な勢いで吹いていて、セールをゆるめていても、舟幅が狭くて底の丸いアクアミューズは横倒しになりそうになる。
ウェットスーツの短いのを着て来たが、海に立ちこんでみると、潮は暖かい。

苦労なく出艇した。
どんどん沖に出て、右手に垣生港の赤い灯台、左手に伊予市のヤマキの赤い大看板が見える所まで行って、南下する。沖合に出てから、風はますます強くなり、5m/秒弱はあるんじゃないか。追い風を受けて、波を切り裂きながら、塩屋の浜から離れて行く。

待てよ、こんな調子で南に行って、帰ろうと思って、北上しようとして、帰れなくなるんじゃないか。なんといっても、あまり危ないことは避けるべきだろう。おいらも賢くなったもんだよ。

というわけで、反転して、北上しようとすると、向かい風だから、案の定、まともに北には向かえない。タックを繰り返しながら、重信川の河口に向かう。

先ほどより、さらに風は強く、うねりが高くなってきた。波を切る舳先から、水しぶきが艇内に入って来て、気がつくと、かなり舟の底に貯まっている。しばらく、セールをゆるめて、調味料かなにかの1ℓポリ容器を半分に切って作った水汲みで、溜まった潮を、一生懸命に外にかき出す。

重信川の河口を渡り切った所で、反転する。油断すると、セールが反える時、沈しそうになる。用心しなくては。今日は、慎重に行動せねば。

出艇して、1時間足らず経った。今日も無事に帰らなくてはならない。もう遊びはやめだ。まっすぐ、出艇地点に戻ろう。

帰りは追い風だ。舟が水しぶきを上げながら南に向かっている。艇尾の舵が、水中深く、白い泡を立てながら潮を切り裂いて、まるで、動力船のような長い引き波を残して行く。マストの先に付けた吹き流しが、空高く、真南に向かって暴れるように流れている。

気がつくと正午前になっていた。早朝雲におおわれていたのに、薄青色の空が一杯に広がり、太陽がまぶしい。風も波もさらに強くなって来た。舟の横揺れが頻繁に起こる。気がつくと、進行方向が変わっていて、あわてて舵を切ると、思いがけず、大きな横揺れが襲って来る。くわばら、くわばら。今日は、平穏無事に過ごしたいもんだ。

出艇地点が近づいて来た。もう一息で着艇出来る。せっかくの風だ。ちょっと、タッキングとジャイビングの稽古をしておこう。

何ごとも、思わぬ時に起こるもんだ。
ジャイブして、ビームの下をくぐった途端に、そのまま、舟を起こせず、横倒しとなった。久しぶりの沈だ。よりによって、こんないい日に。

あきらめて、水の中に入る。落ち着け、けっして、舟から離れてはいけない。と言い聞かせる。と思ったら、無情にも、マストとセールがさらに海中に入って行く。あああ、完沈だ。

波間にいると、波がひどく高く見えるもんだ。舟の周りを回って、センターボードをつかもうとするが、センターボードが引っ込んでいて、舟を起こせるかどうか、自信がない。さらに回り込んで、舳先に達し、裏返しになった舟の底に何とか這い上がってセンターボードまでたどり着き、ボードを一杯に引き出して、体重をかけて、完全に裏返った舟を横倒しにする。また海の中に入るのはいやな気分だ。もう二度と舟に上がれないんじゃないか?という弱気を振り払って、センターボードにとりついて、いよいよ、舟を起こす。こういうことは風下からやるべきなのか、風上からやるべきなのか。中に入った水は排水されるだろうか。鈍くなった頭であれこれ考えるが、とにかく、起こそう。

舟が起きた。さあ、舟に上がろう。これ以上、水中にいるのはいやだ。立ち泳ぎしながら、懸垂の要領で体を引き上げ、どうにかこうにか舟に滑り込んだ。やれやれ、うれしや、と思ったのも束の間、まごまごしているうちに、ビームがかえり、また沈。

それでも何とか、強風の中で再々度の沈起こしに成功する。でも、今度は、舟の中の水が抜けず、水がめ状態だ。例の水汲みで排水を試みるが、腕はだるくなるのに、まるで水が減らない。少し減った所で、いつの間にやら随分遠ざかったけれど、このまま陸地を目指すことにする。気がつくと、舳先は沖に向いている。何とか旋回を試みるが、失速していて、舵が効かない。ぐずぐずしているうちに、また水が入ってしまって、完全に水がめ状態だ。

おいおい、分かってるか? 今日はお祭りで、それに、ちょっとした日なんだぜ。平穏無事に暮らすはずだったのに、なんてこった。落ち着くんだ。わずかに残っていた勇気を奮い立たせて、排水のため、再度、自分で舟を横倒して、沈状態にする。わざとやろうとすると、こんちくしょう、恩知らずの舟め、なかなか寝てくれないもんだ。もう、腕時計が潮に浸かろうが、首に掛けた携帯電話機の入った防水パックがどうなっていようが、どうでもいい。とにかく、沈起こしだ。

立ち泳ぎは得意だが、いわゆる水泳は習ったことがない。だから、舟から離れるのだけは駄目、絶対駄目だ。舟の周りを回って、センターボードにとりつく。

舟が起きた。うれしいことに水も抜けてるが、腕の力も抜けている。体を引き上げられるだろうか。最後の気力と体力を振り絞るんだ。

何とか舟に転がり込むとき、少し水が入った。これ位なら、水汲みで排水できる程度だ。でも、舵も効くし、一刻も早く、陸地を目指そう。帰心だけは矢のごとしだけど。

砂浜に着いた。離岸した時よりも大分風が強くなっている。波打ち際で、疲れた体とちょっと反省して萎えた心に鞭打って、舵やシート類を外し、袋に収納する。風に大きくあおられながら、セールをマストに巻き付ける。舟を裏返して、潮水をかけて、砂を洗い流してやり、舳先をカートに乗せ、砂浜を道路まで押し上げて行き、車に積み込む。

振り返ると、秋の光の中で、海が美しい。

七九 六十三。今日は、63歳最後の日だ。
八八 六十四。明日は、64歳になる。
とくにこれといった感慨はない。

正直に言おう。実は、「沈」は上の記述では三度だが、本当は四度やっちまった。着岸した時は本当にうれしかった。さようなら、63歳最後の日射し。