がま君とともに空を飛びたければ、
▲を押してみて。
当家の三番目の子、次男坊として、4分の1世紀にわたる長い長い被保護者時代を過ごしてきたGama君が、ついに、我が家を巣立って行った。
Gama君は、滋賀県大津市瀬田の山の上にあった、某国立医科大学の職員宿舎で生まれた。その前年に長男Haruno君が我が家にやってきたばかりだったので、父親たるライネケにとっては、なんと言ったらいいのか、闖入者という感じがあった。
生後、2週間ほどは、ほとんど手間がかからず、一年間にわたって、Haruno君のすごい高周波の泣き声に辟易してきたライネケは、今度の奴は楽だわいと、最初、思ったもんだ。
ところが、これが大間違いだった。とにかく、ビコビコ、グジグジ、しつこく泣くのだ。夜も昼も、ずっと。よほど体力があると見えて、とにかく、圧力が強い感じで、粘り強く泣くのだね。本当に参った。
その年の夏休み、Gama君を含めて、親子5人で、例のゴルフ・カブリオに乗って、滋賀から西宮、淡路島、鳴門、徳島、室戸を経て、高知に行った。前日まで、ずっとGama君の夜泣きのせいで、眠れなかったので、今夜眠れなかったら、一日中運転する我が身が持たないと思った。車の中でも泣く彼を、何度、窓から捨ててやろうかと思ったことか。それで、高知の手前の何処かの薬局の前で、「夜泣き・癇の虫に、樋屋奇応丸」という宣伝を見かけたので、騙されたと思って、樋屋奇応丸を買った。
そして、その夜は・・・。どういうわけか、泣かなかったんだね。これが。嘘みたいに。奇跡だと思ったよ。でも結局、夜泣きが再開して、その後、長い間、苦しめられた。よほど体力があり、要求が強かったんだろうね。
出来がよかろうが、悪かろうが、子供のことを思わない親はいない。子どもたち一人一人に、思い出は尽きない。あんなこと、こんなこと、あったっけ、という日が、きっと来る。
ゴルフ・カブリオのフューエルリッドのキー孔のカバーが折れてしまった。何とかして継ごうとしたがうまくいかないので、投げていたところ、奥の工房で、彼が、何やらやっていると思ったら・・・。
なんとねえ。ワンオフ物のFRP製カバーを自作してくれた。
うん、いいんじゃない? これだと、カブリオを廃車にしにくくなるね。
思い起こせば、ガソリンランタンのホヤを割ったのも、サングラスの弦を折ったのも、キャンプで皆が楽しみにしていたキムチ鍋をひっくり返したのも、みんな、Gama君だった。可愛い破壊者だった。創る者は壊す者でもあるのだろう。
ロナともお別れだね。今のうちに撫でてやっておいてよ。
人は、それと気づかないうちに旅立つものなのかもしれない。あとになって、実は、あれがお別れの日だったのだな、と思う日が来る。だから、いつもいつも、「今」を思う。
そして、目を閉ざせば、見えてくるのは、この顔だ。
ごきげんよう、Gama君