2011年1月26日水曜日

ネコパコ事務室だより 20


ライネケのお気に入り… このコートにまつわる思い出話は何度か聴いた
寒風吹きすさぶ東京の空のもと、予備校生のライネケをすっぽり包んでいたコート
雪の大文字を背に鴨川ベリを歩いたコート
きっと「わが青春のグローバーオール!!」なんだろうな
しかし何と言っても40年ものである
今や袖口や前立てはすっかり擦り切れて ボタンの革ひももプチプチ
「もういいでしょう?」(処分しても)
その発言にも耳を貸さず 「ま〜だ まだ」とさらに数年経過
でもとうとう…今日ネコパコの魔の手にかかった
それにしても40年分のこの埃のものすごさ
おもわず喘息発作が起こりそう
死にそう…
でも負けることなく 屋外で粛々と解体作業を進め
とうとうバラバラ事件は完了した
ヨークの部分に比べるとホラこんなに色あせて
第二弾!!恐るべし紫外線というところですね

   「早く新しいコートが要る!」ってか

続きは第二報をお待ちください
皆さんも風邪引かれませんように

2011年1月18日火曜日

ESE-3D-monitor

ただ今数値実験中.
一枚の液晶画面に,55個のモニター画面を開いて計算過程を
監視しているのだが…                     
整理しないとなにがなんだかわけわがんね,,という状況である.
そこで,とりあえず付箋を貼り付けて,ケース管理をしている.
我ながら頭悪い方法だが,手間はかからない.
しかし,モニターが一部付箋に隠れてしまうので,
付箋を手前に折り曲げて省スペース化してみた.
ついにがまがえるは液晶モニターの3次元利用に成功した!
名づけて,ESE-3D-monitorである.
えせ?あほか……意外と暇やな.というむきもあるかと思う.
否定はしない.

ちなみに壁紙はドイツの無尾翼グライダー,Horten-Ⅳの構造俯瞰図である.
ドイツ人のマッドサイエンティスト度合いは恐らく世界1だ.
少なくとも,第二次世界大戦終結までは.
みよ,このGerman面構え.そしてこの馬鹿みたいに窮屈なコクピット!
だが,こういう連中の作るものほど,美しいのも事実である.
興味のある方は以下HP参照のこと.

「泥舟は着実に浸水しつつある」 がま

2011年1月14日金曜日

ネコパコ事務室だより 19

地産地消の店「まさき村」へ行ってきた
おお怪しいものがあるよ!
ドラゴンフルーツ この色と一個400円の値段にひかれて買っちゃった
「美味しいですか?」とお店の人に聞いたら、「びみょ〜」とのお答
いいね、その「びみょ〜」
持って帰って計ったら550gもあった うっ〜 楽しみ たのしみ…
2、3日眺めて楽しみ、いよいよ本日「びみょ〜」にトライ
表れ出たのは巨大な胡麻塩おにぎりの風貌
においも何にもしない
お前は一体何者か?  確かにびみょ〜
よ〜く味わうと かすかな甘み シャリシャリではなくモッタリ
とりあえず昼食のサラダに付け合わた
残りはヨーグルトにでも混ぜ込んで食べちゃうことにする

2011年1月9日日曜日

末っ子の一人事


このややこしいのはなんであろう?
今お台場に来ているテオヤンセンのビーチビースト達は
物理の法則に従って造られたすごい奴です。
こんなんが歩いてたら迷惑甚だしい。
でも1個家に欲しい。

末っ子です。初登場です。

お父様お母様、これを息子からの
手紙と思って下され。
そろそろ新学期。精進します。
さらば。

ネコパコ事務室だより 18

2011年が明けて早、上旬が過ぎようとしています
長かった気もするけれど、慌ただしかったので
「えっ、もう…」の気持ちの方が強い
昨日Tの会の子どもの集まりで早速凧揚げをしました

朝から小学生11人と、ロウソクで竹ヒゴを曲げるところから作りあげました
こちらに引っ越してきてから、提案して去年からはじめて二年目です
去年は我が家の近くの塩屋の浜であげましたが、今年は
整備工事が終わった城山公園を会場に選びました

幸い天気に恵まれ、初心者向けの程よい風が吹き、
糸が切れることもなく楽しむことができました
去年は良い風がなく、81枚100mを揚げるのに苦労しましたが
26枚と枚数も程々で、扱いやすかったです
背景の松山城と青い空が美しく、楽しい一日でした
終了後、準備の夜なべ仕事で肩と腰が痛かったので、ライネケと
鈍川温泉へ 強力バブル湯が効きました
なかなか充実した一日となりました

2011年1月3日月曜日

断固蕎麦食うべし

がま氏にとって,昨年は(も)戦争であったという.
まず,就活戦争なる極めて不毛な戦線に投入されたがま氏は,
これを一点突破,最小労力で首都を陥落せしめた.      

その後,財政難を乗り切るために,傭兵として暫く実験バイト
(正確には実験装置設計・製作請負)に明け暮れ,いい加減本国に帰還したい
と思い始めた矢先,特殊機関「人力飛行機爆撃部隊・チームF」に拉致監禁され
富士川でパイロット養成を強要された.さらに最前線・琵琶湖に送り出された
挙句,不本意ながら「チームF 」の戦勝に協力することとなった.

見返りとしての本国・仙台への送還希望が容れられ,晴れて北国へ
帰ったがま氏を待っていたのは,「人力里帰り計画・プロジェクトリーダー」
への就任と,「第2次けんきう戦争」の勃発であった.これに対し,
がま氏は急遽「泥舟2号・中間審査なんとか乗り切る型」を建造し,
大量被弾にも関わらず三途の川の往復に成功した.
その後,「くりすますイブ」,「くりすます」,「仙台光のページェント」といった
いくつかの小規模危機を乗り切り,最後の難関「としこし」を迎えた.

しかし,「としこし」は一般に言われているように,厳粛なるココロもちで
「年越し蕎麦」を食し,悔い改めることによってのみ通れる狭き門である.
生半可な覚悟では討ち死にすること必至である.

そこで,がま氏は朝風呂を浴びて身を清めた後,雪降る仙台の街中を
「悔い改めた者だけが通れる.悔い改めた者だけが…」と呟きつつ三越に
向かった.これはジョージ・ルーカス監督の教えであるという.
三越の地下では,                                
「おせち料理はゼッタイ作らへんでえ! 寝正月決め込むねん!」
と襲いかかってくるオバタリアン達の間を逃げ惑い,命からがら
「海老天」「搔き揚げ」「生蕎麦」「便利葱」「そばつゆ5倍濃縮」など
を奪取することに成功し,気息奄々としながら研究室に帰り着いた.
そして31日夜12時,がま氏は暖房の効いた研究室で「年越し蕎麦」を頂き,
無事年を越すことができたそうだ.                   
現在がま氏は「泥舟3号・なんとか論文仕上げる型」の建造に着手した
ものの,戦況は悪化の一途を辿っているとのことである.
gama
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新年明けましておめでとうございます.
早々に不毛な報告となってしまいましたが,今年もこの調子です.
泥舟に乗った気分で着いてきたまえ!