2010年8月31日火曜日

Orientation

明日未明から,仙台を発つ予定
               1日; 仙台~(山形経由)~新潟・小国
               2日; 小国~柏崎
               3日; 柏崎~石川
               4日; 石川~金沢(東尋坊)
               5日; 東尋坊~大津
               6日; 大津~京都
               7日; 京都~岡山
               8日; 岡山~しまなみ街道
               9日; ~愛媛
               10日; 予備日
            
1日目が一番大変な予定.峠ふたつ.
がまがえるは途中で路上の干物にならずにすむのか?
そして,台風7号はいったいどこへ向かうのか?

自転車旅行は,いつも出発1週間前くらいがもっともやる気で,
その後はどんどん行きたくなくなる.
出発前日は超やる気なくなる.
行きたくねえ.どうせキツイし.

gama

2010年8月27日金曜日

旅の予感

「俺は旅に出るのだ.止めてくれるなハニー・・・.」
   と,gama氏は背中で語るふりをしている模様である.

2010年8月24日火曜日

Shigeyuki君へ


なんか、書こうと思ったけど
上手に言えないや。

8月23日。
ようこそ、我が家へ。
夏の思い出をありがとう。
これからも、どうぞよろしく。


写真は、shigeの撮ったものです。
私は、どうしても上手く人物の写真を撮れない。
撮りたい構図が捉えられない。
shigeはとても上手く、人物を撮ります。
彼の今までの経験がそうさせるのだと
私は彼の写真を見て思いました。

白夜でも、いづれ夜が明ける。
君の今に無駄なんてないよ。

chica

2010年8月16日月曜日

「男はつらいよ、ライネケ篇」 <ライネケ院長>

8月13、14、15日は盆休みの三連休だった。実は、その数日前から、何だか体調が悪かった。階段を上がる足が重いのだ。ひどく肩が凝る上、ロナに早朝起こされるのと、寝室に面する道路を走る車がうるさくて、寝不足のせいだと思っていた。

ライネケは医師免許をもらって、医師として仕事を初めて以来、一日として、自分の仕事に穴をあけたことがない。高熱が出ようが、なんであろうが、どんなにえらい時でも、なんとかして乗り切って来た。意外に丈夫だったし、何といっても、若かったからね。

実は、盆休みに入る前、先週からすでに、何やら調子が悪くて、階段を上がる足が重く、ひどく肩が凝った。


オイラはこわい猫なんだぜ


盆休みに入った。ライネケは、エアコンがまだ生きていてETC付きのメルセデスに、ネコパコとShigeを乗せて、吉川までの片道300キロの旅に出かけた。途中、金光のあたりで、二号線沿いの店に寄って、トンカツを注文した。Sサイズを注文したのに、えらくでっかかった。その後、ひどく腹が重苦しくなり、それでも、エアコンを吹かせながら、運転を続け、倉敷に到着した。倉敷ではにわか雨に降られたが、あまり涼しくもならず、ぬるいおもゆみたいな町中をせかせかと歩き回った。その後、たどり着いた吉川で、土曜日一日を過ごして、日曜日、再び、山陽道を南下した。吉川ばあちゃんは元気だったよ。


車なんて、走って、曲がって、止まれれば、それでいいのさ


日曜日もかんかん照りの晴れで、胸から上はエアコンに吹かれていたが、窓から入る日差しはひどく暑かった。車外温度計が35℃以上を指す中、山陽道を備前で降り、懐かしい旭川に沿って下り、玉野のS先生宅を訪問した。先生宅を辞して、昼過ぎになっても、食欲はなく、徐々に体調が悪くなるのを感じながら、玉野から水島に至る山道、町道をごちゃごちゃと通って、水玉ブリッジラインを経て、やっと、金光の手前で2号線に戻り、2号線をひたすら南下した。


しまなみ海道もひどく暑く、気の抜けない一車線の高速道路を気分不良を我慢し、眠気に耐えながら、やっと今治にたどり着いた。


なんだか、ぐあいが悪い・・・


もう一息で松前だ。集中力が途切れないように。


今治から奥道後にむかう山道は、信号のない代わり、カーブが多く、前をとろとろ走る軽四輪を追い越した時、軽四の運転手は、車を隔てて、ライネケの怒りを感じたに違いない。彼は制限速度を守って走っていただけなんだけどね。


結局のろのろ走るバスの後を走らざるを得ないままに、カーブだらけの下りの山道を下り切ると、松山だった。気温は36℃を越えていた。松山松前間の20キロほどが気が遠くなるくらい長かった。4時ころ、帰宅した。あまりに気分が悪くて、体温を測ったところ、38.7℃あった。


神さま、仏さま、ご先祖さま、ライネケ一門をお守り下さい


実は、出かける前に、ライネケの老母からお墓さんのご先祖のお迎えをして、帰って来たら、お見送りをする約束だった。なんとしてでも、これを済まさなくてはならない。今へたり込むわけにはいかない。お墓に行って、墓石に水をかけ、自然発火しそうな暑さの中で、線香に火をつけ、お参りした。その後、国近川河口でライネケ老母の用意してくれていた油揚げやら茄子、素麺などを流した。ご先祖さま、西方にお帰り下さい。私たちライネケ一家は正しく強く賢く生きて行きます。今後もよろしくお守り下さいますよう。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。


もう、あかん


浜のお墓から引き上げて来て、ライネケは、とうとうのびてしまった。


頭痛、気分最悪。熱はあるけど、上気道炎症状なく、嘔気嘔吐なく、今のところ、下痢なく、便通あり。しかし、腹部の不快感ひどく、食欲なし。


困った時にはためらわず、泣きつきまくるという、いい性格のライネケは、信頼する内科小児科のW先生に電話した。言下に熱中症だと言われ、点滴を指示されたが、ライネケは、自己中ならともかく、自己注はできない。夜だというのに、Shigeに走ってもらってポカリスエットを買って来てもらったのだが、結局、あまりたくさん飲めず、食事も全く摂れぬまま、夜10時過ぎても熱は下がらず、フラフラしながら、トイレに行った。排尿時、妙に小水が熱く感じるので、これはひょっとすると、前立腺炎か、膀胱炎あるいは腎盂炎もあるのかも知れん、と思い、念のため、パンスポリンを飲み始めた。明日から外来だというのに、どうしよう。


不安と不穏の一夜を過ごし、翌朝、体温は37.7℃。ネコパコが作ってくれた朝食を不機嫌そうに少し食べて、気力をふるって、盆明けの外来を開始した。なんとか、午前中を終了。その後、パンスポリンを続け、ロキソニンも半錠飲み、ポカリスエットを飲み、月曜夕には、36.9℃に。最後の患者を診察したあと、最初の言葉は、「とうとう月曜を乗り切ったぞお。」だった。火曜日の本日、午後、ほぼ平熱に。しかし、渋り腹が続く。軽い下痢っぽい感じの便通に変わって来た。何か、すっきりしない。

やっぱり、熱中症? 夏風邪? 食中毒? ただの更年期障害? 要するに夏バテ?


とにかく、仕事に穴をあけずにすんだ。ネコパコ事務長の言う通り、「男はつらいよ、ライネケ篇」だった。でも、本当につらかったし、不安だった。このあと、年はとるばかりで、悪いことはあっても、いいことが増える可能性は少ないし、どうなるんだろうね、おい、という気分だ。


とにかく、やるべきことをやって行くだけだ。


今度ばかりは、どうなるかと思ったぜ。次はどうかな?


「女はつらいよ、ネコパコ篇」にならないよう祈る。


残暑見舞い


あー・・・・もう夏も終わりかあ・・・
まだあちいけどなあ・・・
こうして夜中に散歩しているのが一番よいなあ.

みなさん御機嫌よう.
夏風邪をひいている方はお大事に.
忙しい方はご無理をなさらずに.
やる気のない方は少し発奮を.

そして,お昼寝は欠かさずに・・・

gama

2010年8月13日金曜日

銀山温泉にて

某日,がまは旧友とレンタカーを駆って山形に出かけた.

友人の希望で,道なき道をうりうりと走り回った挙句,
「銀山温泉」なる温泉に到達した.

銀山温泉はそれなりに由緒ある温泉らしく,銀山の廃坑から
流れる谷川を挟んで,木造の温泉旅館が建ち並んでいた.

しかし,がまはそんなことより谷川に放流された虹鱒が気になって
しようがない.           
     
「にじます,にじます,にじます!一尺5寸は優に越えている!
         うじゃうじゃしとるでにゃーか!にじますにじます!」

がまがえるにとっては温泉よりも虹鱒の方が優先度が高い.
彼は橋の欄干にとり付いて30分は動かなかったそうな.

よく覚えてないけどいい湯でしたよ.たぶん…
gama

2010年8月10日火曜日

太陽,照る

釣りに行った.
ちっとも釣れなかった.
太陽が昇る
ぽっかり浮かぶエネルギーのるつぼが,
今日も最初の一閃を送ってくる

ほどなく入道雲が湧き上がり…
表層を蠢く生き物が生まれたり死んだりする
茫漠とした宇宙の歴史からしたら,
人間なんで塵のようなものだが…
やっぱり人間は愛おしいものも作る
gama

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ところで,こんな島に住みたい!
生き物の豊富な海と,苔むす林があって,松の防風林の中に
「木造平屋板間20畳土間つき庭付き工作ガレージつき」 の,我が家.

蔵王山頂の2m四方の孤立した植生を見て考えた.

2010年8月7日土曜日

プレイバック <ライネケ>

アメリカには、日本人には想像できない程のお大金持ちがたくさん居て、至れり尽くせりの高級ホテル住まいで、老後の日々を過ごしている人がいるらしい。
「長いお別れ」で有名なレイモンド・チャンドラーの最後に近い作品で、「プレイバック」というのがある。ライネケが、初めてこの小説を読んだのは、滋賀県にいた25年前だ。

主人公で語り手のフィリップ・マーロウ氏が、ある事件を調査しているうちに、とあるホテルのロビーで、80歳近い老人と出会う。

このおじいさんは、四代目ヘンリー・クラレンドンを名乗る富豪で、若いときは、グロトン、ハーバード、ハイデルベルク、ソルボンヌ、それに、ウプサラに学んだという上流階級出身者だ。年とって引退した今となっては、一日中、ホテルのロビーにステッキをついて座って、世間を観察するのが仕事だ。白髪をきれいにとき分け、鼻が長く尖り、薄いブルーの目はまだ鋭さを失わず、補聴器をつけ、手をスエードの革手袋に包み、きれいに磨き上げた黒靴にグレイのスパッツをつけている。

そのおじいさんが、どういうわけだか、ホテルにやって来たマーロウに手招きして、話しかけるんだが、何回か読み直してみても、この小説の中で、この人物が何者で、どういう役割を果たしているのか、今ひとつ分からない。話す内容の大方も、あらすじとはまるで関係がないように思えるし、意味合いもよく分からないというものだ。

マーロウにちょっとした情報を与えてはくれるのだが、その中で、妙なことを語り始め、マーロウは、このおじいさんの哲学的というか神学的というか、このおじいさんのおしゃべりに付き合うことになる。

このヘンリー・クラレンドン4世が言うには、自分程の年になると、楽しみはほんのわずかになってしまい、たとえば、ハチドリとか、ストレリチアの花の開き方の観察みたいなものだけになってしまう、というのだね。

なぜ、一定の時期になると、
つぼみが直角に向きを変えるのだろう?

なぜ、つぼみが徐々に裂けて、
花がいつも一定の順序で開き、
まだ開いていないつぼみの尖った形が
小鳥のくちばしのように見え、
ブルーとオレンジの花弁が
極楽鳥のように見えるのだろう?

神様はどんなに簡単にも作れた筈なのに、
なぜこんなに複雑に作ったのだろう?

「プレイバック」レイモンド・チャンドラー/清水俊二訳 
早川書房

本当に、その通りだな。このような神が宿るような微細な野の花を、道端にしゃがみ込んで、見つめるたびに、ライネケもそう思って来た。なにが悲しうて、こうなのか?

神は万能なのだろうか?
万能といえるだろうか?
神が全知全能なら、
はじめから骨を折って宇宙を作ることなどしなかっただろう。
世の中のすべてのことがうまく行かないのは
神の手際が良くなかった日にぶつかったからにちがいない
・・・

「プレイバック」レイモンド・チャンドラー/清水俊二訳 
早川書房

そんな風なことを語るのだが、プロットにどんな関係があったのやら。しかし、ライネケが読み終わって25年も経った今、この小説で思い出すのは、なぜか、この部分だけだ。

そうそう、有名な
「タフでなければ、生きて行けない。やさしくなくては、生きる資格がない。」
というセリフも、この小説の中で出て来る文句だ。原文では、
"If I wasn't hard, I wouldn't be alive.If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. "
となっている。toughじゃなくて、hardなんだね。

不思議な小説だよ。今頃になって、ライネケにも、少し分かる気がしてきた。

年をとったからにちがいない。

2010年8月6日金曜日

ART Construction

先日 終に完成

メンバーは延べ8人.
総工期は70日.

見込みが甘くて予定より一月近く伸びたが,
とんでもない俊速である.

これで当分は工作は満足です.
おなかいっぱいです.

とりあえずどっか自転車で旅行に行きたいなあ…
gama