6月半ば、内子に行って来た。ネコパコ事務長とChicaさんとHaruno君と一緒だ。
内子は松山から約30kmほど西にある町で、和ロウソクと内子座という演劇場で「村おこし」している。随分整備されて、観光客が沢山来るようになった。
内子に、鍛冶屋さんがいて、一人3000円で、燭台を作らせてくれるのだという。Chikaがやってみたいのだという。何とか教室とか、市民講座とか、あまり好きでない上、何ごとにも腰の重いライネケ院長だが、ネコパコ事務長の「あなたも行くのよ。」の一言で行くことになった。「へええ・・・。」
鍛冶屋さんの作業場はJRの内子駅の近くにあって、おじいさん、御当主、息子さんと三代にわたって鍛冶屋をやっているらしい。住まいと作業場は隣接していて、息子さんが作ったらしい鉄製の花の飾りが上に掛けてあった。
これが、基本になるひな形だね。この、鉄の大型カブトエビみたいなのを、金槌でひっぱたいて、好きな形にするわけだ。って言っても、二階の喫茶室にある、親方の作った既製品で、気に入ったのを持って行って、それを模して作るのだと言う。それにしても、いい子になって、言われることをよく聞いて、指図通りのものを作るなんて、一体どこが面白いんだ? ウフフ。オイラを甘く見るなよ。
うまく行くと3000円の元手以上のものが出来るかもしれない、と思うと、俄然、元気が出て来た。ううむ、何だか、イメージがわいて来た。
下から風を送って、コークスを燃やし、その中で、ひな形を熱する。さすが、コークスだね。あっという間に真っ赤になる。
真っ赤になった所で、やっとこでつかんで、カナトコの上で、ガンガン、キンキン、グワングワンと叩くと、水飴みたいにというわけにはいかないが、思いのほかに変形して行く。
親方が、「ご主人は手慣れてますね。何かやってたんですか?」なぞとお愛想を言ってくれるけど、男の子だったら、これくらいの事は、誰でもするよ。うちの子なら。多分、Chikaを除いて。
燭台だから、蠟燭を突き刺す心棒は先細りにして、針みたいに尖らせるんだが、オイラは、ちょっと幅広に扁平に叩いて仕上げた。言われた通りに見本みたいなものは作らない。わけありなんだ。
真っ赤に灼熱した鉄の太い角棒を、両端をつかんで、グイイイイッと捻ると、
飴のねじりん棒みたいな装飾をいれることができる。ちょっと、力が要る。
出来合いの蝋の受け皿
ろうそくを突き刺す心棒、その下の台座になる輪っか部分と、手で持つ把っ手部分が出来上がると、こんなもんかな、という所で、ろうそくが溶けて垂れてきた蠟を受ける受け皿を付けるのだが、出来合いの直径7cmくらいの鉄の円盤を適当に変形させて、中心に穴を開けて、それを溶接付けするわけだ。
オイラは、やっぱりわけありで、もっと大きな円盤にしたいって、駄々をこねる。親方は、不審げな顔ながらも、直径13cmくらいの円盤を、鉄板から切り抜いてくれた。本当は、直径17cmくらいのが欲しかったんだけど、そこまでは言いそびれてしまった。オイラはいつも遠慮した挙げ句、後悔する。わがままついでなのにね。
切り出した円盤の切り口を整形してくれる親方。その横で、かしこまって、見ているライネケ。目上、指導者、世話人、そういう人には礼を尽くすもんだ。
切り出してもらった鉄の円盤を、凹んだ鉄のカナトコの上で、一生懸命叩くと、受け皿が出来る。親方は、つち目が入った方が面白いと言うが、自分で思ったようにつち目をいれるのは難しいし、筋力も要って、大変だ。
そいつの真ん中に穴を開けて、燭台の心棒で貫いて、溶接して固定する。
出来上がり!
ライネケだけの、蚊取り線香台
把っ手がついて、立ち上がりにネジリが三回入れてあって、大きな受け皿のついた、蚊取り線香台。
どうかな。ちょっと好くない?
やはり、あと2cm半径を大きくしてもらえばよかった。でも、それだけでは、台座部分とのバランスが悪くなるな。台座をもっと大きな「のノ字」にし、もう少し、受け皿を下にし、線香を突き刺す部分も受け皿に近く低くすればよいだろうね。
真っ赤に燃えるコークスと赤熱された鉄に見入るライネケ親子。人は火に惹かれるのだ。
左から、Chica、ライネケ、Harunoの作品。突き刺してあるのは、内子の和ロウソク。Chicaさんの作品には植物を感じるし、ライネケは、日常生活で何に使えるだろうか、と常に実用性を考えてしまう傾向があるようだ。Haruno君のは、何か自分らしいものを表現したいんだけど、今ひとつ満足出来ない所が残ったようだな。人それぞれなのかもしれん。
Chikaは、東京の渋谷で植物関係の職場で働いている。Harunoは大学生5年生で高知にいる。仙台のSoraninと東京のShigeとも夏休みには逢えるかな。たった、2・3日だけど、時には、こうして子ども達と過ごせるのは、幸せと言わねばならない。ほんの数年前まで、一家6人が揃って、食べたり、どこかに行ったり、当たり前だったのに、今は、これから全員揃うなんて、あと何回あるだろう、と考えてしまうようになった。
最後は、ひょっとして、オイラの葬式の時とか。「あの時は、本当に怖かったよ。ライネケ父さんは、静かだったけど、顔を見られなかった。」とか言って、彼らが笑いあう日が来るのだろうか。オイラも棺桶の中で彼らの話を聞いて笑おう。最後に一家6人揃って笑う日。その時は皆集まって欲しい。