Anne Morrow Lindbergh
"GIFT FROM THE SEA"
(海からの贈り物)
1955
随分昔からライネケ院長の父親の書棚にあって、今は、ライネケ院長の蔵書になっている洋書。「海からの贈り物」。第1版第3刷、ロンドン、1955年。
若い白人女性が豊かな髪を風に投げて、浜辺に横たわっている。表紙と題名がいい雰囲気だ。元の持ち主も大事にしたんだろうか。わざわざ硫酸紙のカバーが掛かっていて、取り外してみるとかなり痛んでいる。だって、もう50年以上経ってるんだから、無理もない。
著者は、アンヌ・モロー・リンドバーグ。かの「翼よ、あれがパリの灯だ」で有名な、初めて大西洋を越えてニューヨーク・パリ間単独無着陸飛行に成功したチャールズ・リンドバーグCharles Augustus Lindberghの奥さん。これは裏表紙。
本を開き、ページをめくってみる。用紙がちょっと厚くて、経年変化のせいで黄色くなっているが、きっともともと淡黄色の紙質なんだろう。好ましい感触だ。
まず、著者名/表題/出版社のページ、目次のページ、そしてまた表題だけのページがあって、それから、前書きというか、緒言の3ページがある。そして、やっと、
第一章 THE BEACH
のページに。そのページの空間を贅沢に使って、端っこに、可愛らしい巻貝がいる。ほら、波の音がそこに。
そのページをめくると、また表題と巻貝のイラストを冠して、第一章の本文が始まる。随分手間をかけるもんだね。ここまでで、すでに15ページだ。
「海辺は仕事する場所じゃない。warmすぎるし、余りにもdampだし、本気の精神修養(real mental discipline)や精神の高揚のためにはsoft過ぎる。」というのが書き出しだ。右の余白に、誰かの鉛筆書きの書き込みがある。英英辞書にあたったんだろう。dampはwet on the surface、disciplineは training esp. for mind (特に心に関する体系的な訓練)だって。
第二章はどうかな。やはり贅沢なページの使い方だ。
第二章 CHANNELLED WHELK とニシ貝らしき絵だけのページがあって、その次に、再び表題と貝のイラストを冠した第二章の本文が出て来る。
このイラストは素敵だが、この章は、ニシ貝そのものの話ではないようだ。リンドバーグ夫人は、一時はこの貝殻を住処としたヤドカリがどうして貝殻の住まいを捨てたのか、と考え、こうして浜辺に休暇にやって来た自分も生活という殻を脱ぎ去って、逃げ出して来たのだ、という。
そうして、彼女は、この海からやって来た貝殻が、単純で、無駄がなくて、しかも美しくて、ちっぽけだけど完璧であるのにくらべて、今、町に脱ぎ捨てて来た自分の日常生活という殻が正反対であると思う。
海から吹く風に吹かれ、波の音を聞き、空の色を見て、いろいろ考えているうちに、彼女の想いは、家庭、仕事、主婦のありよう、女性のありよう、社会とのつながり、という風に、様々に広がって行く。そして、自分には、実務の上でも、精神的な面でも、単純さが必要で、何か中心になって依って立つ所が必要なんだって事に気づくわけだ。
随筆なんだから当たり前だが、具体的に何かが起こるというのではなく、彼女の様々の想いが、次ぎつぎ連想的に転調して行って、いろいろな内省が生じる。そうした想いは何と言うかとりとめなく茫漠と広がって行って、結局彼女のバカンスが終わって、彼女が立ち去ったその後に、けだるく砂浜に打ち寄せる波の音と、何やら呪文めいた印象みたいなものだけが残る。慌ただしい日常生活の中で見失っていた物を見直し、家庭を持つ女性という作者がこれからどうあるべきなのか、随筆というか、哲学とまではいかない教養書というか、雑感というか、そういう漠然とした本なのさ。そうなんだけど、装釘や体裁を含めて、何と言うのか一種の気分というか、雰囲気があって、そういう漠然とした内容とマッチして、手元においておいて、時々パラパラとページを開いてしまう。
英語自体はそれほど難文というわけではないんだが、長文の英語を読んで、各部分と全体を通じた内容をキチンと整理して把握するというのは難しいので、内容をみんなに上手に正しくお伝えする事は私の手に余る仕事だ。立派な訳書もあるので自ら読んで下さい。
全部で8章あるうち、最初の3章までは、余白にかなりの書き込みがしてある。鉛筆で、時に赤インクで。ライネケ院長の父親の筆跡だ。つまり「伊予じいちゃん」だね。キツネコ一家の子どもたち、伊予じいちゃんのこと、覚えているかな? 戦前の旧制高校を出て帝大を卒業したインテリらしく、知識欲の旺盛な人だった。高校大学ではドイツ語が第一外国語だった筈だが、英語もかなり読めたようだ。私が中学生だった頃、私を深夜まで横に座らせて、三平方の定理の証明やら、複利計算の仕方やら、教えてくれた。私は眠くて眠くて。今から13年前、朽ち木が倒れるように死んで行った。75歳になったばかりだった。
そうだ、あの人の筆跡だ。父は欠点もあったが、今の人々にはおそらくもう見られないだろう貴種らしき点があった。一種の絶滅危惧種というやつだ。一言で言えばお育ちの良さといったものだ。私が何かある毎に、かくあるべきだ、と思う自分の中の基準は、生前の彼の言動に影響を受けたものだと言わざるを得ない。つまらないことのようだが、町を歩くとき、両手をポケットに突っ込んじゃいけないとか。そういう些細なことから始まって、人間のありようとして根幹的なことまで。
父のことを思い起こせばきりがない。さまざまの思い出の断片が水がほとびるようにあふれ出す。この歳になって分かることもあるのだ。平和な時代に生まれ育った私なぞより比べものにならないくらい、いろいろなことがあの人にもあった筈だ。戦前に生まれ、青春時代を太平洋戦争に過ごし、生き延びて、戦後復興を生き抜こうとしているさなか、この本を手に入れ、辞書を引きながら、海の向こうの異国の人の書いたものを読み、書き込みをした。今は亡き人の何かが、私の中にも流れているのを感じる。
私は、一体、私の中の誰に話しかけているのだろう? 私の声も、誰かの声も、いつしか、微かになっていき、永遠の闇の中に消えてしまうだろうに。暗い海の潮をなす大小の流れのように、流れ行き、行き会い、あふれ、分かれ行き、融け広がって、目に見えない何かのように、いつしか何もかも分からなくなっていくみたいに。